妙見山の神池

神奈川県横浜市都筑区


お諏訪が原には昔からお諏訪様の神蛇が棲んでいると言伝えられていた。明治時代になり諏訪神社が山田村内の他社と合併し、妙見山に遷宮されることとなり、神蛇のみが取り残されてしまった。たまたま、時の服部神官が病魔におかされ悩んでいると、神蛇が夢枕に立ち、その棲息する池を妙見山に作るよう求めた。そこで神官は世話人と協議したところ、世話人の一人、小泉周次郎という人が池の寄進を申し出て、無事池が完成し、神官の病も日ならずして本復したという。

『港北百話 古老の話から』
「古老を囲んで港北を語る」編集委員会
(港北区老人クラブ連合会・港北区役所・昭51)より

追記

妙見山とは現在山田神社があるところ。諏訪が原とは東山田の諏訪山観音寺のあるあたりだと思われる。川崎市野川のほうには、山田の観音寺の池の蛇が来たという伝説があり、同根の話と思われる(「池の主」)。

ともあれ、妙見さんが山田神社となる際、東山田の諏訪神社が合祀されたので神蛇が訴えたという話だ。今も、妙見山東麓にこの神池はある。諏訪神社の御神体は、束帯の座像だが、冠の上に蛇がとぐろを巻くものであると『新編武蔵風土記稿』あり、蛇の社のイメージの強いところであったらしい。

ところが一方、妙見山の社も、山田の外からは蛇の社「ヤマタのオロチ」と呼ばれていたといい(「山田の妙見様」)、これが諏訪社の印象で語られたものなのか、妙見さんのほうにも蛇のイメージがあったものなのか気になるところではある。