鰻の井戸

神奈川県横浜市港南区


文永年間、北条実時は病を得て金沢の城で養生していた。ところが手を尽くしても快気の兆なく、その一命も旦夕にせまった。そこで実時は、日頃信ずる紀伊那智山の如意輪観音を祈念すべしと、一門総集で一七の祈念を行なった。すると、満願の明け方、異相の人が実時の枕元に立った。

曰く、自分は那智山如意輪観世音である、一門の念ずるところを受け、一命を救う、という。そして、西北二里ほどの里にくされ井があるので、その水を服せば快気がある、といった。また、井中に頭に斑紋のある二尾の鰻がおり、それを服せば実時の命を救う霊物となるだろう、といって異相の人は消えた。

起きた実時は如意輪観音の大慈悲と、二人の使者をその里に送った。人跡絶えたさまに使者は井を探しあぐねたが、里老が現れ場所を教えてくれた。あまりの朽ちた様に使者は水を汲みかねたが、確かに頭に斑紋のある二尾の鰻が泳いでいた。使者は霊水に間違いないと水を汲んだが、不思議ともう里老の姿はなかったという。

この水を服した実時はたちどころに快気し、那智山に御礼の代参をさせたという。また、全快ののち自ら井を訪ねたところ、かの鰻が泳いでいたので、この奇瑞に思いをなし、鰻の井、と名付けたそうな。井の水は話題となり多くの人を癒したが、実時の死後、井の鰻は姿を消したという。

『港南の歴史』
(港南の歴史発刊実行委員会)より要約

追記

笹下郵便局の北、県道22号線沿いに、今もひっそりと鰻井戸はある。上の話は「金沢文庫の研究」にあるそうな(「金沢文庫研究」か?)。現地にも「鰻の井戸」として解説板がある。

しかし、虚空蔵菩薩ならずして如意輪観音が鰻の棲む霊水をもたらしたというのも、聞かない話だ。那智山のといっているあたり、如意輪観音であることに間違いはないようだが、現状どういう話なのかわからない。