杉山神社跡

原文:神奈川県横浜市磯子区


槍のとぎ水から古泉交叉点に向かうと、三丁目一二ノ一九と、四ノ一六との間に左(東)にはいる小道があります。旧道に面したこの角に鳥居があって、小道をはいったくぼ地、第一、第二ミナトアパートの辺に弁天池、池畔に杉山神社がありました。古老の話では、楠の木の古木、ケヤキの大木が七・八本ある森になっていたそうです。

新編風土記には、除地一畝五歩、村内の鎮守なり、とあります。この社は、鎌倉時代のはじめ、鎌倉に幕府を開いた源頼朝が、鎌倉の鬼門除に、弁財天を七ヵ所に祀って、七杉山神社を創建したという話があります。七社というのは、蒔田通町の杉山神社、羽衣町の厳島弁天社、久保町国道ふちの杉山神社、戸部の杉山神社、洪福寺先の杉山神社、生麦の杉山神社と、もう一社は岡村のこの杉山神社だと、岡村天満宮の杉原宮司が話してくれました。

風土記には社殿は二間に三間とありますが、のちに拝殿・本殿と二棟になっていました。市史稿によると、拝殿は九尺四面、本殿は二間に三間とあります。明治四一年六月に、この社は岡村天満宮に合祀しました。この時にこの社殿を岡村天満宮に運び、その本殿を改築したということです。

『磯子の史話』
(「磯子の史話」出版部会)より

追記