杉山神社跡

神奈川県横浜市磯子区


古泉の交差点近くに弁天池と池畔の杉山神社があった。古老によると楠の古木、欅の大木が七・八本ある森であったそうな。

鎌倉幕府を開いた頼朝は、その鬼門除に弁財天を七ヵ所に祀って、七杉山神社を創建したという。

蒔田通町の杉山神社、羽衣町の厳島弁天社、久保町国道ふちの杉山神社、戸部の杉山神社、洪福寺先の杉山神社、生麦の杉山神社と、この岡村の杉山神社がそれであったと、岡村天満宮の宮司は語る。

『磯子の史話』
(「磯子の史話」出版部会)より要約

追記

今は岡村中学校前交差点となっているのが古泉交差点だと思われ、古泉のバス停がある。その北側あたりに杉山神社があったようだ。今はもう家が立ち並び、弁天池も森の様子もない。

それにしても驚いた話だ。額面通りなら、弁天と杉山神社が同じような神として祀られていった、ということになる。少なくとも現在の両者にそのような話はまず聞かれないが。

しかし、その七社の中にもある戸部の杉山神社の神は、片目を突いた蛇だという(「麻の葉に目を失いし神」)。それも一般的な杉山神社の解釈からは説明の難しい話なのだが、この七社弁天・杉山社の話ならば、説明がつく。

もっとも、岡村の杉山神社に蛇の話があったのかは分からないのだが。ただ、ほんの300メートルほどのところにあった伊勢山の伊勢宮には雨を告げる蛇がいたという(「伊勢宮の雨蛇と烏」)。

上の話をしている岡村天満宮にも、江の島の五頭龍の眷属が夢に出たなどという話があり(「夢に現ずる江の島の龍」)、地区自体は何かと蛇の話をするところではある。