二ツ池の竜

原文:神奈川県横浜市鶴見区


獅子ヶ谷と駒岡にまたがる二ツ池は、用水池として慶長(一五九六〜一六一五)のころに作られたといわれ、元禄時代(一六八八〜一七〇四)になって、二つの村の水争いから池の真中に堤を作ったので、これ以来この堤が村境になっているが、この堤についてつぎのような伝説も残されている。

むかし、この池は一つの大池であった。池には、竜神が住んでいたが、めったに出てくることはなかった。たまたま池に石などを投げると、辺り一面が急に暗くなり、強い風と共に大雨が吹きつけ、雷鳴がとどろき荒模様となった。すると、池の水は大きく渦をまいて、その渦の中から、火を吹き、目をつり上げた竜が、天高く立ち上り、池のふちの道を通る人を殺すといわれていた。そこで村の人たちは、その道を通るときには石を落さないようぬき足、さし足で歩いて通ったという。

この竜神を鎮めるために、毎年、旧暦の十二月になると、村の娘を一人、生けにえに捧げることになっていた。もし、それをしなければ竜神が暴れまわり、村が全滅するといい伝えられていた。

その年も、その時期が来たので庄屋さんは、だれを生けにえにしようかと、頭をかかえていたが、「弥助のところが、今年は一番不作であった。弥助の娘、タエにしよう。」と思いついてさっそく、弥助の家へ頼みに行った。だがタエには、将来を約束した蓑吉という男がいた。蓑吉は、熊使いの名人だった。蓑吉はその話を聞いて驚き、愛するタエのためにも、また、村人のためにも、竜を退治しようと決心した。

蓑吉は、飼いならした十頭の熊を連れて、池に出かけていった。池のそばまでくると、蓑吉は、池に石をほうり込んで、大声で「村の者をこまらせる竜よ、出てこい」とさけんだ。

するといつものように嵐になり、ものすごいいきおいで竜が出てくるなり「ギャオー」と吠えた。そして竜は、一匹の熊を目がけてとびかかった。

それをしおに、すさまじい死斗がくり広げられた。篠つく豪雨の中に、時折稲妻が光った。両者の戦いは何時果てるとも知れなかったが、やがて嵐が静まる頃、十頭の熊は、竜の体にかみついたまま動かなくなった。

竜も、最後の力をふりしぼって、天高くまい上り「ギャー」というさけび声とともに、ばったりと池の真ん中を二分するようにたおれた。

その竜の死体が、堤になって大きな池が二つになったと伝えられている。(昼間義信、横溝武夫両氏の話)

『鶴見の史跡と伝説』(鶴見歴史の会)より

追記