デイラボッチ

原文:神奈川県横浜市鶴見区


馬場町にある横浜市立東高校の正門近くに、昔、旧道に面して松林の丘に囲まれたおよそ千平方メートル(一反歩)のくぼ地の畑があった。この僅かなくぼ地を土地の人たちは、むかしからデイラボッチまたはデイダラボッチと呼んでいた。

この丸い形をしたくぼ地は、大男の足跡だといわれていた。それはそれは大きい人間で、この男がモッコに担いですてた土が箱根の二子山であるともいわれ、この男の歩いた足跡が、相模原や房総半島にもあるという。

また、他の人の話では、どこから来たか知らないが、人間みたいな格好で、それはそれはでっかい人がいて、脚の長さが一里くらいもあり、立って歩くと雲につきそう、飛び上るとお月様に手がとどくんだそうだ。馬場学校(いまの東高校)にいく道に足跡が一つあるんだ。足跡といっても一反歩の広さがあって、片方の足跡はどこかわからない。海から水をくんで来て流すと大洪水になり、あばれると大地震がおこるんだそうだ。富士山は泥をもっこでかついで来てこしらえたもので、そのくぼ地に水が溜ったのが富士五湖だよ、もっこの泥をふるったら、箱根の二子山が出来た。天気のよい日、裏山に登ると見えるのが、みんなデイダラボッチがこしらえた山だそうだ。

『鶴見の史跡と伝説』(鶴見歴史の会)より

追記