道念稲荷と蛇も蚊も祭り

原文:神奈川県横浜市鶴見区


毎年六月六日(現在は第一日曜日)に生麦では、本宮の道念稲荷社と原の神明宮の二ヶ所で伝統的な蛇も蚊も祭りが行われている。

もとは、本宮と原は隣どうし、一緒に祭り行事が行われていたようだ。

伝えによると、この祭りの起りは、山梨県身延山(日蓮宗)の奥の院のさらに奥山に七面山がある。その七面山には、大蛇が女性に化身した話があるという。そこで修行していた道念和尚は、修行に旅立ち、当地に立寄った折、稲荷社を建て後に道念稲荷と呼ばれるようになったという。

さて、この話の生れたのは四百年以上も昔のことで、このころの生麦は、半農、半漁の村であった。ある時、村に模範的な青年がおり、村人の世話で美人の嫁を迎え幸せに暮していたが、嫁はふとした風邪がもとで、病が悪化し、手厚い看病の効もなくあの世に旅立ってしまった。息を引き取るとき、夫は妻に、再び妻をめとらずそなたのことは、いっこくも忘れないと約束した。ところが、それもつかの間、仏の四十九日も過ぎぬうち、また、人の世話で二度目の妻を迎えてしまった。結婚後、三日目に新婦は夫につれられて里帰りに行く途中、咽喉の渇きを覚えたので、近くの池の水を飲もうと、夫に体をささえてもらい、水面に顔を差し出した。美しい妻の顔を水カガミにのぞくと、妻の顔は恐しい大蛇の顔だったので、夫はびっくりして思わず手を放したので、妻はザンブと水音高く池の中に消えてしまった。

すると不思議にも、一天にわかに曇り、風も伴う大雨となった。稲妻が光り、雷鳴とどろく荒れ模様となり、池の中から大蛇が現われ、男を一呑みにしようとした。男は「アッ」と驚き、これは仏罰に違いないと心の中で亡き妻の霊に謝罪し、念仏をとなえながら我家に逃げ帰った。

そして男は恐しさに震え、毎日、亡き妻の冥福を祈っていた。

その後、六日目になると、どこからともなく大蛇が出て来て、呪うように家の周りをまわり、夕暮どきに姿を決して行った。男は家の中で生きた心地がなく、ただ神仏に祈るのみであった。

この話を聞いた古老は、家の入口に菖蒲、餅草、萱をおけば、大蛇がこないと言って、早速、各家の屋根の上に束ねて置いたところ、六日目に現われた大蛇は、この束を見て残念そうに、どこかに立ち去っていった。

このことがあってから、この村では萱を材料にした大蛇を作り、自分の家の周りを子供に担がせて回り、仏の供養として柏餅を作り、子供たちに振舞った。

また、稲荷のお告げに、疫病退散と海上の安全、子供の成長を祈るため、萱で大蛇を作り氏子中を回したという話もある。

初めて行われたのが六月六日なので、大蛇の徳を長く伝えようと、悪疫退散、豊年大漁を祈願して六月六日を吉例の行事と定め、「蛇も蚊も出たけ」、「日よけの雨け」と叫びながら村中を廻ることにした。こうして日も照り雨も降り、悪魔退散、豊作大漁を願う。

また、昔から大蛇を担ぐと身体が丈夫になると伝えられている。今では女の子も担ぐ。

行事が終ると子供一同鶴見川の川下まで流しに行く。

生麦ではこの日まで子供が海に入るのを許さなかった。

(生麦本宮、高林倉之氏外地元の話)

『鶴見の史跡と伝説』(鶴見歴史の会)より

追記