雨乞の毛なし池

原文:東京都葛飾区


(高砂6-1-8)

毛なし池は「東西三十八間(約七十メートル)、南北二十間(約三六メートル)、鯉、鮒、鯰 多し」と記録されています(東京府志明治七年)。周囲は百五十メートルもあり、中川と土手をへだてて水を満々とたたえて、一見川の入江のようにも見えます。中川改修以前からの大池でした。大昔中川が決壊して周辺一帯を水没させたとき、大池となって残ったのです。

その決壊口に白蛇が住み付いて時々姿を見せるので、村人は恐れて誰れも角界口を塞ぐ者がなく、そのままとなってしまったということでした。

そして、何百年間が過ぎました。今度はこの池の北西に九尺(二・七メートル)四面の青竜神社を建立し、お祀りしました。神名は榛名神社といい、その分神として、天の水分神をお祀りされました。

この神さまは俗に雨乞いの神さまとされており、伝説によりますと、この毛なし池に住む白蛇は神の使いとしてその後村人に崇められるようになったとのことです。旱魃の時、村人達は、ここの池の水を汲んで田畑にそそぎ祈願すれば、立ちどころに、日をおかずに大雨が降るという奇瑞が伝えられておりました。そのために近郷の農村の間にも信仰者が多くあったのでした。この青竜神社の氏子は講中を結び、榛名山に登り、お水を頂いて帰り、毛なし池に注ぐことが恒例となって、毎年行なわれています。

申し伝えとしては、このとき榛名山の御神水を奉戴した者は途中小便をしては効力がなくなるというので、始めから何人かがリレーでお水は伝達して、毛なし池に持込まれることになっていたようです。

したがって、農耕時代は神池として大事にされ、篤い信仰の上に支えられて、ますます豊かな水に恵まれ、水涸れはなく附近の田畑や飲料水にも用いられ、充分農村を潤したということです。毛なし池の起りは、毛は毛渇、毛竭で東北地方の飢饉の意味で、飢饉のない池の意味と推察されます。

毛なし池の中には、二、三個所の湧水源があって噴出し、汚染を防ぎ、魚類の繁殖をたすけているのでした。

豊富な水に今は専ら釣人天国になっています。

『かつしかの昔ばなし』萬年一
(葛飾文化の会)より

追記