尾垂山

長野県佐久市

真楽寺の池から諏訪へ行く甲賀三郎が立科山まで来たとき、子どもに「蛇が来た」と言われてふり返ると、後ろは恐ろしい蛇体となっていて、尾は前山の貞祥寺の後ろの山にたれていた。それでそこを尾垂山という。三郎のふり返った所は「人いらずの坂」といわれ、人が入れなかった。三郎は真楽寺の小僧であったという。

またいう。昔、浅間山にいた大蛇が水を飲みに蓼科山の双子池へのたり、ふり返ると尾が貞祥寺のところに垂れていたので、山号を尾垂山という。

またいう。昔ある人が海に三千年、陸に三千年住んで蛇体となり、松原湖にいたが、手狭なので諏訪湖へ行こうと思い出かけた。途中で自分の姿をふり返ると、尾が貞祥寺の大門のところに垂れていたので尾垂山貞祥寺というようになった。

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』
(佐久教育会)より要約

佐久の名刹・貞祥寺の話だが、このお寺は室町時代建立のお寺で、用明天皇元年開山の伝である真楽寺のような古い寺ではない。また、引いた例でも巷間にも、この話故に山号が尾垂山だといわれるが、正式な山号は洞源山であり、尾垂は俗にいう名である。

上の話は資料上「甲賀三郎」のいろいろな話の中にあるものから抜き出し、題を別に付けた。見るように、三郎が諏訪へ行く途上の話が有名だが、また別の大蛇の移動の話が語られてもいる。