真楽寺の池から諏訪へ行く甲賀三郎が立科山まで来たとき、子どもに「蛇が来た」と言われてふり返ると、後ろは恐ろしい蛇体となっていて、尾は前山の貞祥寺の後ろの山にたれていた。それでそこを尾垂山という。三郎のふり返った所は「人いらずの坂」といわれ、人が入れなかった。三郎は真楽寺の小僧であったという。
またいう。昔、浅間山にいた大蛇が水を飲みに蓼科山の双子池へのたり、ふり返ると尾が貞祥寺のところに垂れていたので、山号を尾垂山という。
またいう。昔ある人が海に三千年、陸に三千年住んで蛇体となり、松原湖にいたが、手狭なので諏訪湖へ行こうと思い出かけた。途中で自分の姿をふり返ると、尾が貞祥寺の大門のところに垂れていたので尾垂山貞祥寺というようになった。