尾垂山

原文

御代田町小沼の真楽寺の池から、諏訪へ出発した甲賀三郎が立科山まで来た時、子どもに「蛇が来た。」と言われて、ふり返って見ると、後は恐しい蛇体となって、尾は前山の貞祥寺の後の山にたれていた。尾垂山とはこうして名づけられた。

甲賀三郎のふり返った場所は、「人いらずの坂」といわれ、人が入れなかったという。

甲賀三郎は真楽寺の小僧であったという。(切原北川、農、高柳五百吉43・高柳たかじ48)

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むかし浅間山にいた大蛇が水を飲みたくなったので、蓼科山の双子池へとのたった。蛇は双子池へついて後をふり返って見ると、尾がちょうど貞祥寺の所に垂れていた。それから貞祥寺の山号を尾垂山というようになったという。(栄上区、農、小林今朝平79)

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むかしある人が海に三千年、陸に三千年住んで蛇体となって、松原湖にいたが、小さいので諏訪湖へ行こうと思って出かけた。途中で自分の姿をふりかえって見ると、尾が貞祥寺の大門の所に垂れていた。それから尾垂山貞祥寺(註 貞祥寺の山号は洞源山)というようになったという。(上桜井、農、細萱亀作58)

 

※資料中「甲賀三郎」の類話より抜粋

『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』
(佐久教育会)より