尾掛松

長野県諏訪郡下諏訪町

大昔、神々は陰暦の十月に出雲に集い、会議を開いた。それで各地の神々が留守になるので神無月という。この神集いに神々は思い思いの姿で集まったが、諏訪明神は立派な龍の姿で参加するのが常だった。

ある年の神集いに、諏訪明神の立派な姿に感心した神が、お見受けできるのは顔ばかりだけれど、体や尾はいずこに、と尋ねた。すると諏訪明神は、体は出雲までのいくつもの国にまたがり、尾は信濃諏訪湖の高い松の木に掛けてある、と答えた。

これを聞いた神々は大層驚き、その大きな体で出雲まで、と気遣い、諏訪明神には前もって意見を聞いたり、会議の様子を知らせるなど取り計らい、明神様は出雲まで出かけなくてもよいようになった。この時から、諏訪には神無月がなくなったという。

諏訪明神の「尾は(大和・おわ)高い木(高木)に掛けてある」の言葉により、諏訪市大和(おわ)、下諏訪町高木の地名が生まれたといわれ、明神が尾を掛けられた松は「尾掛松」と呼ばれて古くから大切にされた。

宮下和男『信州の民話伝説集成【南信編】』
(一草舎出版)より要約

尾掛松は下諏訪町南高木のセイコーエプソンの脇にあったが、枯死して今は伐り株が「杉の木社」といって祀られている。松だか杉だかという話だが、切られた「尾掛松」は柏槙であったそうな。

有名な話だが、引いたものはかなりご当地寄りの表現になっているといえるだろう。他は概ね長い蛇体で出雲へ来る諏訪明神に出雲の神が呆れて、もう来なくてよい、という話になるという次第となる。こういう神を留守神ともいうが、諏訪の神はその代表となる。