池太神様のお話

山梨県南巨摩郡早川町

昔本村に、高岸源佐衛門という人がおり、ある日稲又谷の奥へ狩に行った。すると、谷川につき出ているあづき石という岩の上に、ピカピカ光る小さい神様が乗っていた。源佐衛門はこの山中に、と不審に思い、神体を川の中に落とすと、本当の神ならば、又登ってござっしゃれ、と狩に向かった。

その日はなにも狩れないまま、源佐衛門があづき石に戻ってくると、はたして光る小さな神様は、また岩の上に登っているのだった。源佐衛門もこれは神様かもしれないと思い、弓矢を差し出し、誠の神なら矢の上に登って下され、と言った。すると、神様は矢の上に登られたのだった。

その後は夢枕に立つ神様の指示の下、村の人々と神体を祀る場所を探して山を開き、笹の海を分け、安置する場所を求めた。とある池端に場所が決まると神様はお礼に源佐衛門の家裏に清水を湧かせてくれ、長く村を守護しようと約束された。これが、雨畑の池太神で、毎年四月四日にお祭りが行われている。

早川町教育委員会『早川町の民話と伝説』より要約

おそらく池太神は今もある。しかし、周辺には池太神・池大神(いけたがみ)がよく祀られ、どれが伝説の舞台となるのかは現状不詳。そして、これはより大きな話の後日談という話なのでもある。

実は早川には、竜神の申し子であった都の姫が、世の醜さをはかなみ旅に出、七面山に消えた、という伝説がある(『早川町誌』)。この話は七面天女の話と大きく関係するかもしれないので、それそのものはさて置く。

そして、その姫に恋をしていた都の若者があり、これを池の宮といった。池の宮は姫の出奔を知ると、追って早川まで来たのだという。しかし、そこで姫の足取りは途絶え、悲嘆の極みの池の宮は雨畑の深い淵に入水して果てたのだそうな。

この池の宮の霊がタカギシゲンザエモンなる人に拾われ祀られた、というのがこの池太神の話なのだ。類話はたくさんあり、小鹿が金の玉に変じたたとか、最後は七面山に祀られたとか、タカギシの家が越してしまうと、池太神さまからのもらい水が白く濁ったとか、いろいろある。

さて、この話で問題としたいのは池の宮の霊は蛇となったかどうか、というところ。源佐衛門に拾われた神は、光る小さな神、ないし金の玉であり、特に蛇とはいわない。しかし、竜の申し子の姫を追ってきて入水した者が、七面山に祀られたともいわれながら竜蛇と無関係ということもあるまい。