お経塚

栃木県那須郡那珂川町

七百五十年ほど前のこと。片平に弥八とお時という仲の良い若夫婦があった。ところが、お時が風邪から病気になり寝込んでしまった。弥八は懸命に看病をしたが良くならず、近くの熊野権現でお百度を踏み続けるようになった。

毎夜出かける弥八をお時は不審に思ったが、理由を教えてはくれず、ついにお時は弥八が浮気に行っているのだろうと邪推し、嫉妬した。そしてついには世をはかなみ、池に身を投じて大蛇に生まれ変わってしまった。大蛇は人畜を襲い、大暴れをしたので、人々は片平の里を通らなくなり、村はすっかり寂れてしまった。

これを憂慮した領主の片平義隆(那須八郎、与一の兄)は、名高い親鸞聖人が下野を通り掛った折、招いて法会を開いてもらった。聖人は三部経の文字を石に一文字ずつ書写し、お時蛇の池のほとりに、その石で塚を築いた。

その夜、義隆と弥八は聖人と同じ夢を見た。お時が美しい姿となり、聖人により業苦を逃れ、往生できることを感謝に現れた夢だった。これより大蛇は現れなくなり、片平の里は平和になった。義隆は親鸞聖人に感謝し、仏光山洞照院を寄付したという。

小川町文化財資料集第9冊
『おがわの昔語り』(小川町教育委員会)より要約

弥八が弥惣であったりするが、これは常圓寺も寺の歴史に、この伝説ゆえに義隆が親鸞に寺を寄進したと記している。花見が丘の蓮花寺では、絵解きで説法をしていたようだが、こちらでも同じようなことを土地の話としてしたものだろうか。

また、これも現状何を意味するかわからないが、花見が丘の伝では、大蛇の人身御供と選ばれたのが八島明神の神主の娘であった所から親鸞が呼ばれる。八島明神とは下野総社でもあった大神神社であるが、小川のほうにも近くに三和明神の古社がある。