花見が丘

栃木県下野市

国分寺に花見が丘という伝説の地がある。建保年間、大光寺村に川合兵部という者がおり、その妻は生来嫉妬深かった。兵部はこれを嫌い外に気立ての優しい妾を囲っていたが、妻はこれを悟って嫉妬の情念抑える術なく、妾の家を訪れ、これを喰い殺そうとした。

ところがひと足先に来ていた夫に阻まれたので、妻はその夫の喉笛を喰い裂き、続いて逃げ惑う妾も噛み殺した。妻の体内は焔のように熱気が燃え立っていたので、姿川で水を飲もうとすると、その総身には鱗が逆立ち、口は裂け、大蛇の姿となっていた。

妻は驚き、逃げ帰って黒川に飛び込み、世の一切の女を亡きものとする、という怨念を抱く大蛇となった。これより大蛇は人畜を食い殺し暴虐の限りを尽くし、村人たちは毎年九月八日夜に村内の女子一人を犠牲として捧げ、大蛇を鎮めるほかなくなってしまった。

そして、ある年その犠牲となる籤を引いたのは、室の八島の神主大沢掃部のひとり娘、照代姫であった。娘と父母の嘆きは見るにも堪えなかったが、掃部はこの時、親鸞上人が常陸にあると聞き、馳せて娘の難を救い、魔性を済度して衆生を助けられんことを願い申し入れた。

ここに親鸞上人は掃部とともに来駕され、娘を教化し安養せしめた。犠牲の夜、照代姫は心静かに檀上にのぼると、一心に念仏を唱えた。風雨が烈しく起り、火焔に包まれた大蛇が現れたが、姫の決死不動の念仏は続き、不思議にも大蛇は水底に沈み、浪風は止んで、やがて暁の光が照らした。

人々は姫の無事に感嘆し、親鸞上人は草庵を作らせると、一字一石の経石を蛇池に投じ、大蛇済度の供養をつづけた。やがて、大蛇は女と化し上人のもとを訪れ、魔性消滅の説法を受けて極楽浄土への道を授かったという。このとき、紫雲棚引き天上から蓮の花が降ったので、ここを花見が丘と呼び、また親鸞畑や蛇骨塚などを残した。

小林友雄『下野伝説集 あの山この里』
(栃の葉書房)より要約

国分寺の蓮花寺を中心として語られた、親鸞上人の大蛇済度の伝説のもっとも主となる筋がこの話となる。蓮花寺では二十枚の絵解きでこれを語っており、文書としては「親鸞聖人花見ヶ岡大蛇済度之縁起」(同寺)などが発行された。

姿川・思川の間が舞台となるが、伝説により、妻が自分の蛇となった姿を映し見たので姿川というようになったといい、また妻の大蛇が怨念の思いを抱いて沈んだ川なので、黒川といっていたのを思川というようになった、という次第となる。