金持ちのいじさんが山へ行き、なたで蛇を二つに切ったら、尻尾のほうはあったが、頭のほうはいくら捜しても見つからない。帰って寝ようとするが寝つけない。そこに盗人が入ってきて、背負えるだけ持ち出そうとするが、おじさんがいつまでも寝つかないで、「のどがかわくから飲むよ」と言って起きてくると、水瓶に何かが飛びこむ。盗人が「待て、明りをつけてみよ」と言うのでそうすると、蛇の上半分が水瓶に落ちて血まみれになっている。おじさんは「お前はおれの命を助けてくれた命の主(しゅう)だ」と、「背負えるだけ持っていね」と言うが盗人はどうすすめても辞退する。おじさんは盗人を敬い、二人は兄弟よりの仲よくなった。(荒木甑島 p.248)
荒木甑島……荒木博之『昔話研究資料叢書5 甑島の昔話』(三弥井書店)
かつての下甑村の話とある。半殺しの下蛇の頭が見当たらず、家に帰ると追ってきていて(あるいは先回りしてきていて)水瓶に潜んで仇を返そうとする、というのは蛇の祟りの話の定型のひとつ。この話の大部分はその典型といえるだろう。
概ね、それで仰天した人が病で死ぬなり、家が傾くなりする幕となる(「大青大将の目」など)のだが、ここでは、これを潜んでいた盗人が察して命の恩人となる、という面白い変転をしている。
その連絡にどのような意味があるのかはわからないが、この蛇の頭の話が、ただそれで終わるだけがもっぱらではない、ということを示す事例ではあるだろう。