鳳来寺鉄道槇原駅から南へ一丁、トンネルの下に琵琶淵がある。いまは周囲の木々も伐られて日も差すようになったが、かつては魔の淵であった。昔、そま稼ぎの宗七という若者が、この淵へ鰻の夜釣りに出た。そして首尾よく一匹の大鰻を釣り上げ、持ち帰った。
肉は蒲焼にして晩の食膳に乗せ、頭は取り放したまま勝手元に置いていた。ところが、舌鼓を打ってのち床に入ったところ、恐ろしい家鳴り震動がした。宗七が驚いて勝手元へ来て見ると、鰻の頭がむくむくと膨れだし、光を放ちながら流しを滑り落ちていったのである。
鰻の頭は、琵琶淵へと転げて行き、追う宗七を前に、げらげらと高く笑いながらどぶんと淵に沈んだ。宗七はその夜から発熱し、土用の丑の日の丑の刻に琵琶淵へと身を投げてしまったという。
以来、胴も尻尾もない鰻の頭が琵琶淵の野主(ぬし)となった。姿を見たものは大病すると恐れられ、槇原トンネル工事の際の事故も鰻の崇りだと噂された。鰻の頭を川に捨てると琵琶淵の野主となる、といましめられている。
現在の飯田線三河槙原駅から「西に一町」の誤りだと思われる。そこに屏風のような岩山を刳り抜いた槙原トンネルがあり、その南下を流れる宇連川の淵に、琵琶淵があったのだろう(今はすっかり浅くなり護岸されている)。
そこに、げらげらと高笑いする頭だけの鰻の怪が出たというのだ。実に独創的なヌシであるといえる。下ろして頭と骨だけにしても水桶で泳ぐという鰻の生命力への畏怖だろうが(実はいろいろな魚が泳ぐが)、頭だけがむくむく膨れるというのは異様だ。
似たところでは、不死性ということでは本家というか双璧をなす蛇の頭の怪というのもあるが(「靴ヘビ」)、ここまで異様さが際立って描写されるというのでもない。
胴がやたらと太い所謂つちのこの逆の印象という感じでもあるが、武州槌ヶ窪には「槌頭(つちんど)」というのもいた。あるいは転じるところのある両者なのかもしれない。