王子が池

静岡県駿東郡小山町

今から四百年も前のこと。御殿場から籠坂へぬける街道があったが、須走へ行く途中に松林があり、風が吹くと松の枝が三味線のようにふるえるので三味線林と呼ばれていた。その林の奥には大きな池があって、清冽な水を湛えていたが、なにやら精霊さまが住んでいる、といわれていた。

それで恐れて皆近づかなかったが、重左衛門という恐いもの知らずで傍若無人な若者が、人々が止めるのも聞かずに三味線林へ馬で行き、池の畔の松の木に馬をつなぐと薪をとった。ところが、十分薪をかかえて帰ろうと馬を探すと姿が見えない。さすがの重左衛門もこわくなって、村へ帰って皆に話した。

それは池の主の祟りだとみないい、次の日、強そうな人々を選んで馬を探しに出た。そして、ひとりの村人が、恐ろしい光景を発見した。そこには、馬を一呑みにして、苦しみのあまり死んでいる大蛇がいたのだった。重左衛門が馬をつないだ松の木に大蛇が化けていたのだ。

大蛇は馬の轡の鉄の毒で死んだのだ、と思った村人たちは、塚を築いて大蛇を葬り、池の守り神とした。乱暴だった重左衛門も、これよりはすなおな若者となったという。その塚を蛇骨塚といい、池を大蛇が池(おおじゃがいけ)と呼んだが、宝永の噴火で塚も池も埋もれてしまった。

この噴火の砂をさらい、村を助けてくれたのが幕府の命を受けた代官・伊奈半左衛門だった。村人はその恩を忘れないよう、伊奈神社を建てて半左衛門を祀った。その傍らの池を王子が池というが、これがかつての大蛇が池である。

勝間田二郎『御殿場・小山の伝説』より要約

今も三味線林山とあり、その南にある須走字西沢に池跡が見える(馬術センタ西側)。伊奈神社は西沢にあったので、おそらく王子ヶ池とはその池だと思うが、現在は陸自の演習場内となっているようだ。

話の特徴としては、馬を引く水のヌシの話であること、松の木に化ける竜蛇の話であること、大蛇から転じたとされる例に王子がありうることを示す話であること、という三点があげられ、同様の内容をもつ各話から参照されることになろうかと思う。

しかし、ここではそのあたりは置き、富士の噴火によりいったんは消滅した池の話である事例として引いておいた。富士山麓にはこういう話がままあり、よく見ていけば多くあるはずなのだ。

なお、最後にあるように噴火の被害から村を救おうとしたのが伊奈半左衛門忠順で、忠順は幕府の禁を破って備蓄の米を分配しお役御免、切腹を命じられたという話もこの地域では語られる。そして神社と祀られたわけだが、代官といっても義民の社という風でもある。