絵馬の池田は昔池だった。江間小四郎の嫡子安千代丸が十一歳の時、この池の傍らを通り、池の大蛇に呑まれてしまった。色を失った家来から知らせを聞いた小四郎が急行するも間に合わなかった。髪を逆立て怒った小四郎は大蛇の左眼を射、蛇は矢を立てたまま池に沈んだ。
それで大蛇はこの池では険呑だと思ったのか、どこかへ逃れ、池の水は年々引き、田になったのだという。小四郎は薄命な安千代丸の死を悲しみ、萬徳山北條寺を建て弔った。
また一説に、函南のほうでは大蛇は雌雄であったと伝える。小四郎に仇と攻め立てられた大蛇たちは池から浮島ヶ原のほうへ逃れる際に日守の坂を越えたが、雄蛇が越えた坂が男坂、雌蛇が越えた坂が女坂だという。