池田の大蛇

静岡県伊豆の国市

絵馬の池田は昔池だった。江間小四郎の嫡子安千代丸が十一歳の時、この池の傍らを通り、池の大蛇に呑まれてしまった。色を失った家来から知らせを聞いた小四郎が急行するも間に合わなかった。髪を逆立て怒った小四郎は大蛇の左眼を射、蛇は矢を立てたまま池に沈んだ。

それで大蛇はこの池では険呑だと思ったのか、どこかへ逃れ、池の水は年々引き、田になったのだという。小四郎は薄命な安千代丸の死を悲しみ、萬徳山北條寺を建て弔った。

また一説に、函南のほうでは大蛇は雌雄であったと伝える。小四郎に仇と攻め立てられた大蛇たちは池から浮島ヶ原のほうへ逃れる際に日守の坂を越えたが、雄蛇が越えた坂が男坂、雌蛇が越えた坂が女坂だという。

後藤江村『伊豆の伝説』(国文館・昭和10)より要約

江間小四郎とは北条義時のこと。また安千代丸(泰千代丸)は若宮と祀られたともいい、これを合祀した珍場神社というお宮も現存する。伝説はその若宮の元久元年の棟札(の天明の写し)に見えるという(『町史資料第二集・伊豆長岡町「宗教編」』)。

しかし、義時の長子といえば御成敗式目を制定した北条泰時だが、さらに兄がいたのかという話でもあり、そのあたりの謎かけで何か語りたい話なのか、という気もする。