伊豆第一の名瀑、浄蓮の滝。その滝壺は大池のようで、一種凄惨な気を漂わせている。昔、この近くに青木某という農夫がいた。ある日、滝そばの畑を耕し一服していると、一匹の女郎蜘蛛が足に這い上がり、男が幾度か吹殻をたたくうちに、無数の糸がその足に巻かれていた。
男はこの巣糸を踏みにじる気にならず、手近な桑の古株に巻き付けてやった。すると、いつもの滝の音が異様に変わり、風もないのに梢が揺れた。尋常事ではない、と男が怪しむうち、大地が激しく揺れて蜘蛛の糸を巻き付けた桑株が引かれ音を立てて滝壺に引き入れられた。
恐ろしい出来事に農夫はその土地を去り、浄蓮の滝の主は女郎蜘蛛だとの噂が立ち、近寄るものもなくなった。そして何年も過ぎた頃、他國から来た樵が、怪異の噂も知らずに滝まわりの古木を斬っていた。ところが、ある日誤って樵は秘蔵の鉈を滝壺に落としてしまった。
樵がすぐ水に飛び込み鉈を探すと、もしもし、と優しい女の声が聞こえる。樵が顔を上げると、岩陰から半身を見せた妖艶な女が、樵の鉈を持っていた。そして、鉈は返すが、このことを口外したら命はない、と言った。自分は淵の主の女郎蜘蛛である、と。樵が鉈を手に水の上に浮かび夢心地から覚めると、小半時がすぎていたという。
それから樵は里人に滝の噂を尋ねて回った。そうして女郎蜘蛛の怪異の話などを聞いたが、自分の見た怪異については語らなかった。しかし、ある冬の夜、酒の入っていた樵は人が滝の怪異について噂しているのを耳にして、思わず自分の体験を話してしまった。その夜、忽然と樵はあの世へ旅立ってしまったそうな。