蜘蛛が池

静岡県裾野市

或夏の日、公文名の蜘蛛が池で一人の男が釣をしていた。その日は珍しくよく釣れたので、夢中になって釣っていた。その時、穿いていた片方の下駄が脱げて落ち、池へ動いて行くので、釣竿の先で突いて見ると、下駄の裏に蜘蛛が巣を張って引張っているのであった。男は(小癪な奴め)と釣竿の先きで下駄を引寄せようとしたら足を滑らせて、も一方の下駄も池に落としてしまった。そして何気なく魚籠を見ると沢山釣っていた魚は一匹もなく、中には笹の葉がある許り。それで男は気味悪くなり、急いで帰ろうとするとこんどは沢山の蜘蛛が湧いて出たように現れて、男に搦みついて来た。その男は初めの中は一々踏潰していたが余りに数が多くて、潰し廻っている中に精魂も尽き果てて其場に昏倒した。

『裾野市史 第7巻 資料編 民俗』より

この池(溜池)は今もある。土地の名を公文名(くもみょう)といい、今も大字公文名だ。そこの池・堤であるので公文名堤という名が本来である池。公文名は中世小泉荘の荘官名に由来すると思われるが、はっきりしたことは分からない。

ともあれ、土地の名(池の名)が「くも」で通じるが故に直ちに蜘蛛の怪が語られたのだと見てよい事例だろう。しかし、荘官のことである公文(くもん)をいただく地名は決して少なくはないが、各地で蜘蛛の怪が沸いているのかどうかは不明。そうでもなければ土地柄故といえるかもしれない。