厳島神社の白蛇伝説

静岡県伊東市

広野の西に広野山があり、柄杓沢という豊かな水源があったが、突然の陥没や地滑り、吹き上がる水柱などの異変が相次ぐところで、里の人たちは地下水が暴れて大蛇の眠りが覚まされたのだ、と戦々恐々としていた。

ある年の夏、三日続いた土砂降りの後、皆が田に出ていると、また雲行きが怪しくなり、雨が山を下ってくるのと同時に、広野山のあたりで、ブオーッという地鳴りがあった。

地鳴りは立木を抱えて押し出て来、その間には大蛇らしきものが見え隠れしたという。その後、田であった所は森にかわっており、森に取り囲まれた池ができていた。そして、幾年かたつうち、その池に尾の先に玉をつけた白蛇が見られるようになった。

里の人はこれは水神様の使いであると、安芸宮島の厳島神社を勧請し、池のほとりに祀った。お参りすると子どものから耳(中耳炎)を治すといわれ、治ると貝の附着した海の石を神社に納めるならわしとなっている。

伊東市広野・厳島神社社頭掲示より要約

広野や海側隣の小川沢上流にはかつて池があったといい、一碧湖の赤牛はその小川沢にもとはいたなどという。その赤牛の移動は地滑りなどによる池の消滅を物語るのじゃないかなどといわれるが、隣接して明らかな「蛇抜け」の話であるこの広野厳島神社の話がある(今はもう出現したという池も見えない)。

この弁天さんの最古の棟札は再建が元禄十(1697)年とあり、小川沢から赤牛が移動したという寛永年間(1624~44)の後になる。再建棟札ということを考えれば、もしかしたら同一の災害に端を発した二話かもしれない。

もっとも、地震に火山に台風と、土砂災害が起こりやすい伊豆だが、意外とこういった蛇抜けの話は見ない。それは赤牛の話などにスライドしているのだということもあろうが、伝説として語るには現象が起こりすぎる、ということもあるのじゃないかと思う。