子のない老夫婦が三島明神に祈願して、境内で卵を拾って帰った。卵からは蛇が生まれ、二人は神様に授かった子と大切に育てた。しかし、蛇が大きくなるにつれ村人たちは恐れ、捨てるように頼んだ。夫婦は仕方なく蛇に訳を言い聞かせて山に逃がした。
ある春の日、村人たちは池の桜の下で花見をした。その時、長者の娘が足を踏み外して池に落ちてしまい、大騒ぎとなった。誰も助けることが出来なかったが、そこへひょっこり蛇がやってきて、水底に沈んだ娘をくわえ上げて助けてくれた。
長者はお礼に蛇には宝物をやり、老夫婦は自分が引き取って長く養ったという。長者の娘の落ちた池は、今も赤王に残っていて、「死に池」と呼ばれている。
蛇息子の話。「死に池」とは不穏な名だが、これは「底無し池」という意味だそうな(同資料)。話としては、花見の際長者の娘が池に落ち、それを放されていた蛇息子が助ける、というのは全国に見る類型となる(それ以外もいろいろな後段はあるが)。
田方にはまた、婆が戯れに襤褸を懐に詰めて妊婦の真似をしたら蛇のような息子が生まれた、という蛇息子の話があり、地域的にはほぼ同じところと思われるが、その関係などは不明。今はさておく。
ここでは、まず蛇息子が神仏から授けられた卵から生まれている点に注目し、同様する埼玉県東松山市の蛇娘の話との類似を押さえておきたい(「蛇娘」)。蛇息子と蛇娘は世界的にも全く違う話だが、道具立てというのは似てくるものである。
もうひとつ、これが三島明神(三島大社)への願掛けによって授けられている、という点にも注目されたい。一般に伊豆三島大明神を蛇とはいわないが、三島の神が蛇となるという事例はなくはない(「なずな長者の娘」など)。
伊予三島ならば、河野一族の伝のように蛇となって子を授けるのはその面目であるので不思議はないのだが、それが意識されていたのかどうか、というのが気になるところだ。南豆に行けば三島大明神は伊予から来たという認識も少なくない。