乳母ヶ池 静岡県静岡市清水区 今の追分にある。 昔、此の地に居た金谷長者の家の乳母が、子供をつれてこの池に遊びに来て居たが、あやまって其の子を池の中へ落してしまった。 乳母は申分けなく思い、書遺きをし、自分も池に投じてあえなくなってしまった。 徳川時代の武士等が、祭の八月此所を通りがけに「ウバヨウバヨ」と言って賽銭をまくとブクブクブクと泡が出た。今は池も小くなった。 其の池の水は咳によいとの事でくみにくる人が多い。昔はよごれていたが今は少しはきれいだそうな。そばのお堂に乳母が琴を弾いている木像がある。(前島かね) 静岡県女子師範学校郷土研究会『静岡県伝説昔話集』(谷島屋書店・昭9)より NDL 竜蛇は出てこないが、静岡にはこういった「うばがいけ」の話がままあり、中には入水した姥が竜蛇と化したというものもある(「老婆龍蛇と化す」)。乳母・姥が子・孫をなくし入水する、何らかの形でその後その水辺に顕現する、という共通項がある。 清水の話を補足すると、子が池に落ちたのは、咳に苦しむ子に水を飲ませようと池の水をすくっている隙のことだった、という筋で、乳母ヶ池の水は咳に良いという話となるようだ。また、まったく別の筋として、土地の某の妻が悋気のあまり投身したというものもある。 ともあれこちらで注目されるのは、「うばよ」と呼ぶと水底より泡が吹きあげる、という点。小山有言『駿河の伝説』では、これを摂津有馬温泉の妾妻(うわなり)源泉の伝を引いて、間歇泉の由来譚に近いのじゃないかと考察している。 そこに注目するならば、これは「呼べば噴き出す」湧水・間歇泉の話に近いものといえ、それらと併せ見ておく必要があるだろう(湧水の話としては「囃子水」など)。 一方、「泡が」というところに注目すると、同地は天然ガスが出るようなところであり、それによる現象であったのではないかと見る向きもある。そしてそういう点からは、富士市浮島のほうで語られる「浮島沼の沼のばんばあ」と比べて見てもおきたい。 ツイート