根羽村から三州の津具へ越すには、檜原川に沿うて渓合いを上って行く。所謂檜原峠が此れである。其処の通称釜の入りと称する所に、直径二尺に余る洞穴が、昔から底知らずで、龍宮まで続いて居ると云われるのが幾つも並んで居る。檜原川の水が絶えずそれへ流れ込んでも、それが何処へ抜けて行くか分らぬ。穴のヌシは黒体龍王で、時々穴の中からその黒い姿を見せると云う。石を投げたり、穴の口を塞いだりすると、何時でも黒雲が忽ち舞い起って大暴れがすると云って、百姓たちは常に恐れて傍へ一切寄り付かぬことにして居る。
このような甌穴(ポットホール)には、まま丸石が形成される。渓流だけでなく、海の磯にも形成される。相模は秋吉の小地名・子産石などは、海にこの丸石がよく形成されることから起こった名だと思われ、しばしば「増える石・子生み石」の伝説となる。
そして、甲信地方の丸石道祖神はこういった具合に甌穴にできた丸石を不思議と思って祀ったものだったと思われ、すなわちこの話には、甌穴-丸石と竜蛇伝説を繋いでいく側面がある。
竜蛇との繋がりは残った「穴」のほうに注目すると顕著で、引いた話にはないが、信州では各地でこのような穴を竜がその尾の剣を研いだ石ということで、龍磨り石・剣磨り石などという。蓼科山の懐本沢あたりには、やはりそこから竜が昇天したのだ、と語る所がある(「昇竜の穴」)。