昔、美濃岩村のお城に小さな姫があった。姫が厠へ行く度に一匹の小蛇がついて来るので、乳母は冗談に、お前が何時でも汚れものの掃除をしてくれるなら、やがて姫をお前に進ぜよう、と約束した。
年経て姫は飯田の殿様と縁談がまとまり、美濃から飯田へ輿入れがあった。峠十里は姫の行列で賑わったが、あの小蛇もまた姫の駕籠の後をついて行くのだった。そして、飯田でも姫に付き纏っているので、折角の縁組も破れ、姫は再び美濃へ帰ることになった。
可哀想な姫は、帰る駕籠に乗る時に沢山の針を用意し、道々その針を撒きながら道を急がせた。そんな事とは知らぬ小蛇は、やはり姫の後追ったが、道に撒かれた無数の針が刺さって鉄気の毒が回り、山本から清内路へ越す峠路で血に染まって死んでしまった。村の人たちは蛇の祟りは恐れ、蛇塚を築いて神と祀った。
この美濃へ向かう道は今は古道である山道として残るが、途中に蛇塚の石碑などは残っているようだ。蛇聟のやってくる導入のひとつとして、特にそれが武家の姫が相手などの場合、下の処理をしてくれるなら将来姫をやろうと約束してしまうというのは定型のものだ。そこはよい。
この話で特異なのは、これによって追ってくる蛇を「針を撒いて」避けているところだろう。針による鉄の毒が蛇を殺すというのは全国共通だが、これを道に撒くという手法はあまり見ない。
連想されるのは北信の大型竜蛇伝説である黒姫山の黒竜の話で、そこでは竜蛇と姫の父(殿様)が、城を周回する競争をする。そして、竜蛇は騙され、必死に駆けているところを城の家臣たちに斬られ刺されてしまう。その筋の影響というのはあるかもしれない。
しかし一方で、阿南町のほうの「矢野の大池の主」でも、蛇聟の来る道筋に針を立てるという手法がとられており、一種の道塞ぎの呪法を言っているようでもある。そもそも「路」という字は道筋に針を刺し悪神を祓ったものをいうともされる(白川静)。
そのあたりが興味深い話だが、また「姫を追う蛇」という筋としても参考にしたい。たとえば九十九里のほうにはなぜ蛇が出てくるのかわからないようなこの手の話があるが(「蛇島の地名の由来」)、結末の雰囲気はよく似ている。