葛窪の東の沢は静かな森になっているが、水辺の小道を下ると小さな白い蛇の碑がある。昔、村の東にあった家にやさしい娘があったが、気の毒に病気になり、看病しても重くなるばかりだった。
家人はへーびの生血が病に効く、と聞いて、川下の森で蛇を捕まえ、その生血を娘に飲ませたが、結局良くならずに娘は死んでしまった。家人はせつなかったが、殺したへーびにも気の毒な事をしたと、へーびの碑を立て供養した。その碑なのだという。
甲六川のことか。この石碑の現在などは不明。資料自体そう古いものではないので、話の採取時期が出版からあまり遡らないなら、今もあるかもしれない。
釜無川を渡った西側の木之間には、お爺さんに山の幸をもたらしたという白蛇の碑があるというが(「彦じいさと白蛇」)、もしかしたら、蛇の石碑ありきの土地なのかもしれない。
そもそも、蛇塚や蛇の石碑というのは、土地を開くにあたって障害となる蛇を駆逐したその供養につくられるものだ。そうだとすると、供養のために立てられた、というこの葛窪の話のほうが実情に近いだろうか。土地に伝説があるというわけではない蛇の石碑がまだまだあるようなら、そうなるかもしれない。