彦じいさと白蛇

長野県諏訪郡富士見町

昔、木の間に「彦じいさ」と呼ばれるお爺さんがいた。彦じいさは若い頃は東北の国々に鋸や鎌を持って行き商いをしていて、よく切れ長持ちし、また本人の正直さと親切さでよく売れていた。年をとってからは商いはやめ、山へ行くのを楽しみにし、山菜やきのこ、山ぶどうなどを採っては村人に分けていた。

ある秋の日、山ぶどうを採りに出掛けた彦じいさは、その日に限って全く採れずにがっかりしていた。すると白い蛇が現れ、ついてくるように、というそぶりを見せ山を登って行った。彦じいさがついていくと、山の上に大きな石があり、その上には山ぶどうが沢山生っているのだった。

それから毎年その大石のところで沢山の山ぶどうが採れたが、白蛇に会うことはなかった。彦じいさは道を造って大石には祠を建て、白い蛇と出会ったところには蛇の形を彫った石碑を立てた。年に一度のお祭りには大勢の人が集まったという。彦じいさの造った道は「白蛇道」と呼ばれたそうな。

富士見町民話の会『富士見高原の民話』
(長野日報社)より要約

「今は程久保川の堤防を作るため道幅を広げたので、自動車で碑の所まで行けます」とあるので蛇の石碑はあるようだ。花場石灰採掘場というのがあったそうで、向かう途中に「白蛇道」と記された石塔もあるという。おそらく、諏訪石灰工業と見える近くの山ノ神神社付近だろう。

引いた話は「樋口彦光さん」語るということで、この何代目かの「彦じいさ」によるものなのだが、これだけだとなぜ白蛇が彦じいさに山ぶどうのありかを教えたのかよくわからない。竹村良信『諏訪のむかし話』に「彦じっさと白い蛇」という同根の話があるのだが、そちらだと彦じっさが鳥につつかれていた白蛇を助けたという発端がある。