大奈良の御幸神社の東二町ほどの四つ辻に幸神社があった。ある日新海様と幸神(さえのかみ)様とで博打をしたが、新海様が敗けて借金をした。それで、大騒ぎの新海様の御神幸も、幸神の前を通るときには静粛にして、畠に入って避けて通過した。今は幸神様は合祀されている。
また、新海様は地蔵様と賭博をして負けたとも言う。桜井の県道の北側にまっすぐな細道があり、新海道というが、地蔵様に金を借りて表通りが通れない新海様が通るための道なのだという。この道には新海橋という橋があり、人が渡るとオコリになると言われた。
新海神社からは西に行って、小海線近くに大奈良地区はある。桜井はもうずっと北西に行って、前山の北のほうとなる。新海さんの御神幸は佐久から小県まで及んで行われたという広大なもの。
蛇の姿ともいわれる(「由池」)新海さんが、このように博打好きだったというのは面白い。どこからこういった面が語られるのかは不明だが、あるいは「御神幸が妨げられる」という話ありきか、とも思える。
もしそうなら、相州国府祭の伝説、各地の蛇の御子神たちが集まる神輿の渡御が、ところどころ阻害されるという話の参考となるかもしれない。国府祭の話も、社宮司が関係しているきらいがある。