赤立姫と藤紫姫

山梨県笛吹市

昔、藤垈の里に蚕を飼いながら細々と暮らしている夫婦があった。その年はまゆがとれず、苦しい年だった。そんなある日、夫婦は道端で苦しそうにしている姉妹を見かけ、声をかけた。妹が旅の途中で姉が具合を崩し、難儀しているといい、夫婦は姉妹を家に迎えた。

しかし姉の容体は一向に良くならないので、夫は大窪山の奥に生えるという万病に効く薬草を求め、傷だらけになって採ってきた。これを煎じ飲ませると、姉は快復し、姉は藤紫姫、妹は赤立姫と名乗り、夫婦に厚く礼を述べた。

そして、姉妹はわけあって都を追われた身だと告げ、夫婦に恩返しをしたいという。それで姉妹は夫婦の家に暮らし、藤紫姫は都の養蚕技術を教え、赤立姫は珍しく美しい布を織り、またその機織りの技術を里に伝えた。

姉妹の教えで大きなまゆがとれるようになり、また機織りが盛んになり、大金持ちになった夫婦は赤立姫の機織り小屋を建てた。今でも蚕室に藤の花をとってきてあげるのは、藤紫姫がそうしたのだという。藤垈には藤紫姫を祀る藤塚があり、赤立姫の機織場があったというハタ屋敷という地名もある。

境川村 VYS「ゆ会」『境川むかし話』より要約

確かに境川町藤垈(ふじぬた)に藤塚という円墳があるようだ。しかし、これはおそらく甲斐国造の先祖とその後裔という一族、向山氏にまつわる話の派生話ではないかと思われる。向山氏には国造時代からの記録(を再編したもの)という『甲斐古蹟考』なる資料があるそうだが、そこに姫たちの名がある。

これによると、甲府市下向山の佐久神社に祀られる「さくの神」がその国造祖・向山土本毘古王であるといい、その御子の妻が「藤巻姫」で、甲斐に織物を教導し藤岱に織物殿を建てたという。そして、その三女の藤紫姫を祀ったのが藤岱の赤立明神(不詳)なのだという。

下向山の稲荷神社には藤巻姫の墓という藤塚があるそうだが、そうなると都落ちした姫姉妹という話でもない。逆に、大正に公開された『甲斐古蹟考』とは別にこの伝説が土地にあったのだろうか、という気にもなる。

現状これ以上のことは分からなく、また直接竜蛇の話というのでもないが、国造祖に連なる機織姫の話というなら、甲斐を代表する機織姫の話と見て重々注目しておいて良かろう。