綾瀬川はかつて大変な暴れ川だった。中でも大曽根は被害が大きかった。ある年の大水の時、大曽根の名主の忠八は、村を水害から救うのだといって、獅子頭をかぶり、腰に長い布をたらして竜に見せかけ、対岸に渡って堤を切り伝右川に水を落とそうと計画した。
しかし、堤を掘り崩す所を対岸の村民に見つかり、片目をえぐられた上になぶり殺しにされ、濁流の中に放り込まれた。忠八の老母はこれを見て狂気し、「忠八!蛇になれ、わしも蛇になる。そしてこの恨みをはらせ!」と叫ぶや川へ身を投げ、母と子は大蛇となった。
二匹の大蛇は付近を暴れ回り、村人すら通らなくなった。ある時、江戸の役人の妹しずが船で通りかかると、片目の大蛇が出てきて船を転覆させ、しずは溺死、役人も命からがら逃げ帰るということがあった。これが将軍に報告され、橋を造るようにと金五両の下賜があった。架けられた橋は「蛇橋」といわれ、蛇の供養もともにしたのでやっと平静になったと言う。
角川書店『日本の伝説』シリーズの『東京の伝説』と『埼玉の伝説』の両方に紹介されている。場所そのものは現在足立区となるが、文意の通りの良い『埼玉の伝説』の方の話をベースに要約した。また、『足立の昔がたり』にもあるのでリンクを張っておくが、忠八が獅子頭をかぶり、長布を垂らして竜と化すという必死の情景がない。
今の地図でも分かるように、舞台は綾瀬川・伝右川・毛長川の合流する所であり、ひとたび大雨となったら大変なことになっただろう土地である。大曽根はこの合流ポイントの東側一帯となる。蛇橋はもうなくなってしまったのだが、この東側には現在「元蛇橋公園」があり、伝説を伝えている。そちらにある碑では息子の名は新八となっており、橋を架けた将軍は吉宗だそうな。
さて一方、埼玉県三郷市のほうには、小田原北条の江戸衆であった匝瑳蔵人が同じく竜の姿と化し、堤を切ろうとしたという話がある(「匝瑳蔵人首塚」)。それほどまでに同地では深刻なモチーフだったのだと言える。
人の普段の行動様式の枠に納まらぬ事態が怪として語り継がれる。ことに水害に関してはそこに竜蛇が登場する。北に行って荒川水系の越辺川には、土地を守護するお諏訪さまが竜神となって川下の堤を切りに行く、という伝説もある(「島田のお諏訪さま」)。併せ覚えておかれたい。