成願寺勧進帳・冒頭

東京都中野区

当郷に鈴木九郎という貧しい博労がおり、ある時、痩せ馬を葛西の市に売りに行った。途中、浅草観音に詣で、この馬が売れて、大観文銭であったらそれはすべて喜捨すると誓った。するとその馬は一貫文で売れ、確かめるとすべて大観文銭だったので、誓ったとおり九郎はすべて奉納した。

九郎が帰ると妻が道まで出迎えていて、話を聞いて喜んだ。そして、夫妻があばら家に戻ると、そこにはいくつもの黄金の入った瓶が現れていた。これをもとに、九郎は無双の長者となった。

しかし、九郎には男子がなく、一人娘を大変可愛がっていた。娘が十八になると晩秋の十三夜に、婚約を祝って盛大な宴会を行った。ところがこの時、娘の寝室に雷が落ち、突風と臭気が立ちこめる中皆が駆けつけると、娘は大蛇となって赤い舌を出し眼光鋭く飛び出していった。

九郎は帰依していた真言宗の高僧に頼むも効果なく、相州最乗寺の舂屋和尚を招き、頼んだ。和尚の力によって大蛇は霧消し、九郎はその徳に感謝して剃髪し、成願寺を建立した。九郎は永享一二年に卒したという。

比田井克仁
『伝説と史実のはざま 郷土史と考古学』
(雄山閣)より要約

これが西新宿から中野にかけての土地で語られた「中野長者」伝説の初見となる(明暦元年・一六五五『成願寺勧進帳』)。この後、『縁起』(享保一九年・1734『多宝山成願寺縁起』)がまとめられるに及んで、現在知られる話型にほぼ同じものとなっていく。

そして『勧進帳』には長者が財宝を隠し、その秘密を知る下男を殺していく「姿不見橋」のモチーフがない。よって、蛇体と化す娘もその悪行の因果によるものではなくなっている。この「姿不見橋」のモチーフは、別に同時期「朝日長者」の所業として語られたものが鈴木九郎のこととして習合してしまったようなのだ。

しかし、それではなぜ娘は蛇体化したのか、というところが問題となる。ここで注目されるのは、それが十三夜のことであることと、「雷に打たれて」蛇体となっているところだ。中野長者伝説のもとは「親の因果が子に祟り」という陰々滅滅としたもの「ではなかった」可能性がある。