昔、印旛沼の畔に気の良い人ばかりの裕福な村があった。印旛沼の主の竜も村人たちが好きで、人の姿になってよく村に遊びに行っていた。村人たちも竜と知っていて家に呼び入れ、大変なもてなしをしてやっていた。
ある年、印旛沼のあたりに大日照りがあって、人々は一生懸命に雨乞いをしたもののいっこうに降らず、ただ死を待つばかりの有様となった。この時いつもの竜が現われ「大竜王は、雨を降らすことをとめているから、雨を降らせば、きっと私の体は断ち切られ、天から捨てられてしまう」と言う。
しかし竜はこれまでの恩返しに雨を降らそうと言った。そして竜が姿を消すとともに天はにわかに曇り、大粒の雨が降りそそいだ。村人たちが狂喜しつつも、竜を心配し天を見上げると、ちょうど竜が天に昇って行く姿が見えた。
どうなることかと一同が祈るも、天を裂く雷が鳴り渡り、竜の姿は三つに裂けてしまった。次の日、皆で手分けして探すと竜の頭が安食に、腹が本埜に、尾は大寺に見つかった。ここに寺を建てたのが竜角寺・竜腹寺・竜尾寺である。
印旛沼の竜の話。昔話としては、このように村人たちと仲良く暮らしていた竜故に、という筋となっている。これが頭が落ちたという古刹・龍角寺(及び各寺)では、釈命上人が天皇の命を受け祈願し、という筋となる(「龍角寺の龍伝説」)。他の寺の話などはそちらから追われたい。
この伝説、古い記録としては、佐倉稲葉氏の家臣・渡辺善右衛門により宝暦以前に編まれたと見られる『古今佐倉真佐子』にあるという(未見)。そこでは単に空から蛇が三つに切れて落ちてきて、竜腹竜角竜尾の各寺の名となったとあるのみのようだ。
ただし、この竜王に逆らい雨を降らせて裂かれる竜の話というのは『今昔物語集』巻十三第三十三「龍聞法花読誦依持者語降雨死語」に奈良の話としてある既存の筋。これら以外の土地にも同様の話型として広まっているものだ。とすれば、釈命の祈願に応じて龍が雨を降らせ三分された、という筋がもとだろうと思われる。
しかし、村のことが大好きだった竜が、という側面が強調されていくという点にも注目したい。それは、同じ構成でもって雨を降らせる巨人の話が柏のほうに見えることにある(「雨を降らせたでいだらぼっち」)。単なる借り物の縁起譚ではない可能性はそこにあるかもしれない。