いぼをとってくれた弁天様

千葉県松戸市

今からおよそ二百五十年ほど前。小金にひぐらしげんばという大金持ちがいて、皆が仰ぎ見る御殿で生活をしていた。娘のぬいも、おひな様が歩いているような、といわれる可愛らしい娘で、皆にうらやましがられていた。

ところが、このぬいの目の下のいぼが段々と大きくなっていくのだった。ぬいは気にして鏡を見ては泣き、表に一歩も出なくなってしまった。げんばは娘が可哀相でならず、全国の医者や易者を呼び見せたが、いぼは一向に小さくならず、ついにおぬいは病の床に臥してしまった。

気が気ではないのは母も同じだったが、ついにげんばに任せてはおれぬと、小金の天王さまに願をかけた。これが二十一日満願の夜、天王さまが母の夢枕に立ち、大谷口の弁天さまにお願いするがよい、とのお告げがあった。母は狂喜し、まだ朝も明けぬうちにぬいを連れて大谷口の弁天に参った。

そうして一心に祈願していると、どこからともなく澄んだ水の音が聞こえてきた。探すと、弁天の裏の岩の間から一縷の清水が湧き出していた。これがそうか、と母娘は察し、この清水でいぼを洗い続けること二十一日で、ぬいのいぼはすっかり消え、以前にもまして美しい娘となっていた。

げんばはこのことに大喜びし、さっそくその財を投じて大谷口弁天のお堂を建てた。この話が伝わり、小金の人はいぼはもちろん他の病気でも、この弁天さまに参り、その清水で清めるようになった。今弁天さんは平石弁天といわれるが、このぬいの話から「いぼとり弁天」とも呼ばれる。

小金北小学校「むかしばなしひろった」編集委員会
『むかしばなしひろった』(米本書店)より要約

おそらくこの弁天さんは今もある(地図上少々不明になっているが)。堂前にはこの伝説を記した由来もあるようだ。ただし、「平戸弁天」となっており、地図上もそうなっている。ひぐれげんばとは高城氏の流れである小金原の富豪・日暮玄蕃だそうな(ひぐらし、と読むはずだが)。