三代前くらいにいたずら者がいて、どじょうぶち(どじょうを捕る道具)を針でこしらえて、どんぶりにどじょうを捕りに行った。そして、どじょうが掛ったが、目に刺さり、怒ったどじょうが大きくなって、蛇になった。蛇がどじょうに化けていたのだ。それで蛇に追われて、その人はどんぶりの海苔屋に助けを求めた。
その人が、堪忍してくれと謝って頼んで、それから毎月一日、十五日だかに赤飯を炊いて御神酒と供えて、その主の蛇を祀るようにした。だから、そのどんぶりの蛇は片目がつぶれていた。
その後、嵐があった時、浜沿いの家々はみな流されたが、その蛇を祀った家だけは助かった。蛇が家をぐるぐる巻いて、流されないようにおさえたのだという。だからその家は今も残っている。どんぶりというのは昔の大地主だ。その溜池をどんぶりの池といっていた。
中島地区の話。そもそもそこの大網元(長者)の家が水没して「どんぶり池」になったのだともいい、その網元の家は代々そのヌシの大蛇に守られていた、という話もあるようだ。そうなると、泥鰌に化けたヌシの蛇の片目を突いた人は、そのヌシを祀る家に助けを求めた、という筋なのかもしれない。
ともかく、ここではヌシの蛇が片目であるという感覚が木更津の海にも確かにある、ということで引いた。貝渕の方の伝説(「片目の神とまむし封じ」)を紐解く一助として参照されたい。