片目の神とまむし封じ

千葉県木更津市

二千年以上前のこと。鹿野山を根拠に先住のあくり王の勢力があった。大和朝廷はこれを平定すべくヤマトタケルを大将軍として東北へ差し向けた。それが走水から、この貝渕へとあがったという。今の桜井北につながる貝渕地先は入り江で船がみな着き、「ろくまんぼう」といわれていた。

そのヤマトタケルは白い馬に乗って上陸してきた。皆の足はもう腫れて石榴のようになっていたが、突然馬が立った。どうしたのかと下を見ると蛇がいて、驚いて馬が棹立ちになったのだ。さすがの大将ヤマトタケルも馬から落ちてしまい、その人食い蛇(蝮のこと)に片目を咬まれてしまった。

こうしてタケルは片目の神になってしまい、怒って蝮に穴に入り出てこないよう命じ、石で穴をふさぎ、そこに日枝神社を建てた。請西という土地と貝渕は境になっているが、請西には蝮がたくさんいるけれど、貝渕には一匹もいない。

貝渕で蝮に咬まれた者は一人もいない。これは事実そういうことがあったからだ。それで日枝神社の砂をもらってきて、その砂をまくと蝮がいなくなるのだという。

木更津の民話刊行会『きさらづの民話』
(みずち書房)より要約

ただし、「外からやってきた敵と戦いました」と日本武尊を表現するという点にはいまだ違和感がある。片目の神というのもどちらかというなら先住の存在を示す傾向があるモチーフだ。やはり、どこかにねじれがある話なのじゃないかと思う。