白いへび 群馬県安中市 四月八日になると、大谷のおばあさんたちは、数珠や線香を持って、仲良く福泉寺にお参りする。おばあさんたちは賑やかに蚕の話や麦の話、かわいい孫の話などしながらお地蔵様の前に集まり、線香を供え、お念仏の声を高めていくのだった。 そして大勢の目が、お地蔵様の台石に注がれ、皆が待つ白い親指ほどのものがチラリと台石の隙間から見える。それは可愛らしい白蛇の頭だった。おばあさんたちは、毎年この白蛇の出現を見て、安心するという。白蛇が姿を見せないと、何か変わったことが起こるのではないかと不安になるのだそうだ。 木暮勝弥『安中の民話と伝説』(安中市教育委員会)より要約 大谷の福泉寺はすでに廃されてしまった。しかし、今も福泉寺跡、とあり、いぼとり地蔵・子育て地蔵の大きな二体が山門らしき位置に並んである。四月八日というのは灌仏会・花祭りの日だが、その日に白蛇が姿を見せるのだという。 近い日付に同じく白蛇が姿を見せる話というのが富士のほうにあるが(「お不動さんの白蛇」)、地蔵の台石となると、大岩の割れ目に見る白蛇とは少しく印象が違ってくるようにも思える。 両毛のほうだが、人が死んだら蛇になるという感覚が如実に語られるところがあり(「死者と蛇」)、この福泉寺の白蛇にもそのような印象を受けるのだ。四月八日はまた、山から田(里)へ神霊が下る日でもあるが、それを祖霊と見るならば、祖霊の白蛇が顔を出すのを待ちわびている、という光景となる。 よりよく見られる、死者がその残念から蛇となり、という話でも、その蛇がやってくるのが盆である、となると、それは妄念を現した蛇であると同時に、死者の魂がそもそも蛇となるのだという印象が強くなる(「蛇になって来たおかみさん」)。 残念といっても、恨みつらみという負の感情ばかりではなく、残された子を守るために、というようになると、これもまたその印象が強くなる(「子を守った蛇」)。 どうも、上州にはそういった蛇の印象が見えるのであり、福泉寺の白蛇もそういった線上に来るような存在なのではないかという気がするのだ。その出現を待ちわびるのがお婆さんたちだ、というのが大きいのかもしれない。 ツイート