ムカデ鳥居 群馬県桐生市 秀郷があるとき、大猿(勢多郡粕川村室沢地内)というところで、橋だと思って渡ったところが、それがムカデであったという。それで、そのムカデをかたどって、鳥居にきざみつけた。それが板橋のムカデ鳥居という。 ムカデは赤城様の眷属という。板橋では、ムカデを見たときには、「ムカデは赤城へ行け」といえば、山へのぼるという(勢多郡新里村板橋)。 『群馬県史 資料編27 民俗3』より 板橋にある石鳥居(板橋の赤城神社ではなく、別に鳥居だけがある)の島木に百足が彫られてあり「赤城の百足鳥居」という(市指定重要文化財)。今の鳥居そのものは赤城山への東南麓の登り口参道入り口として天明二年に造られたそうな。 おそらくは、単に赤城の神の使いを百足とし、それを彫った、というほどのことだと思うが、これが「秀郷と道元の娘」の伝説に関連させられても来る。しかし、百足の敵の秀郷を百足が橋渡しするとは、両方立てたい難しい感情の顛末と見える。 しかし一方、赤堀道元の娘が赤城小沼へ入水しに行く経路として、この百足鳥居を経由した、という話もある(「近戸神社の鞍掛け石」)。赤堀氏が小沼へ向かう神事の経路ということだったのかもしれない。 ツイート