秀郷と道元の娘

群馬県前橋市

田原藤太秀郷が三夜沢の赤城神社へお参りに行こうとし、勢多橋から少し登った百足山(庚塚とも)で一休みした。すると、きれいな女が子を連れ現れ、秀郷に行く先を尋ねた。赤城神社へ、と秀郷が答えると、女はその身の上を語りだした。

自分には三人の娘がいたが、上の二人が百足に刺し殺されてしまった、のだという。そして、残ったこの子をどこかへ連れて行き、育ててくれないかと秀郷に頼んだ。秀郷は女の話を聞いて、百足を退治することにした。

百足はなかなか倒れなかったが、矢につばをつけて射たら倒せたという。この際、秀郷が百足の眼を射たので、赤城山麓の人は片目が小さいそうな。秀郷は百足退治の後、赤城神社へ参り、杉を植えてから、子を連れて赤堀村まで下った。

村では赤堀道元という老夫婦の酒屋で一夜を過ごしたが、老夫婦には子がないというので、連れてきた娘をくれてやった。その娘は道元夫婦に十六まで育てられたが、十六の時に小沼に入り、梵天姿になってしまったという。赤堀家では今でも五月八日に赤飯を重箱に詰め小沼に流す。(勢多郡宮城村柏倉)

『日本伝説大系5』(みずうみ書房)より要約

無論これらは「せた」が重なることから琵琶湖の瀬田の唐橋あたりで秀郷が三上山の大百足を討った話を引いているのだろうが(前後の確証はない)、秀郷にかける情熱というのは両毛により強いのじゃないかと思う。

面白いのは、三浦賢庭が討った話は城を守る大蛇を討つ話になるのだが、秀郷の場合は城を守るのが百足で、百足退治になるところだ。そもそも赤城の神は蛇だったり百足だったりするのだが、こういうところでも入れ替わる。