田原藤太秀郷が三夜沢の赤城神社へお参りに行こうとし、勢多橋から少し登った百足山(庚塚とも)で一休みした。すると、きれいな女が子を連れ現れ、秀郷に行く先を尋ねた。赤城神社へ、と秀郷が答えると、女はその身の上を語りだした。
自分には三人の娘がいたが、上の二人が百足に刺し殺されてしまった、のだという。そして、残ったこの子をどこかへ連れて行き、育ててくれないかと秀郷に頼んだ。秀郷は女の話を聞いて、百足を退治することにした。
百足はなかなか倒れなかったが、矢につばをつけて射たら倒せたという。この際、秀郷が百足の眼を射たので、赤城山麓の人は片目が小さいそうな。秀郷は百足退治の後、赤城神社へ参り、杉を植えてから、子を連れて赤堀村まで下った。
村では赤堀道元という老夫婦の酒屋で一夜を過ごしたが、老夫婦には子がないというので、連れてきた娘をくれてやった。その娘は道元夫婦に十六まで育てられたが、十六の時に小沼に入り、梵天姿になってしまったという。赤堀家では今でも五月八日に赤飯を重箱に詰め小沼に流す。(勢多郡宮城村柏倉)