八龍山

栃木県河内郡上三川町

数百年前、今の普門寺あたりに夜哭きの銀杏があった。越中守綱親公が信俊和尚に銘じてこの銀杏を供養し切り倒したところ、たくさんの蛇が中から這い出し、銀杏の北西の方に姿を消した。

それから幾日かの後、蒲生村の百姓喜右衛門が歩いていると、大きな森があり、その中から大きな音とともに八つの頭をもつ大蛇が現れ、真紅の舌を炎のように出しながら向かってきた。

喜右衛門は動顚して信俊和尚のもとに駆け込むと、助けを求めた。和尚は話を聞くと五鈷を手にその場に向かい、八頭の大蛇と対峙した。和尚は気後れもせずに猛り狂う龍に向かって法華経の龍女の話を聞かせ、五鈷を龍の口に差し出した。

龍は五鈷の一部を噛み切ると、満足したように八つの頭を下げ、大きな胴体を横にした一ツ塚と七ツ塚となってしまった。喜右衛門は感謝し供養のために一つのお堂を建てたが、これが普門寺門末の宝蔵院となったのである。

上三川町文化財研究会
『上三川町の伝説と民話』より要約

一方でこの八龍山(はちろうやま)はその土地の所有者である蒲生氏末流の猪瀬氏のご先祖が帰農する際に武具を埋めて造った塚だ、などという話もあるが、現在残っている「一ツ塚」は紛うことなき帆立貝式前方後円墳であり(八龍塚古墳)、五世紀末ころのものと考えられている。

つまり、竜蛇の伝説の背景となる時代にも武具を埋めたという時代にも既にその塚はあったということだ。ともかく、その古墳が七つの小さな円墳に囲まれていたと伝わり(これは現存しない)、それらが八頭の大蛇(龍)の変じた姿であり「はちろう山」という名である、という話(「八郎塚」とも書く)。

それでその七ツ塚が北辰に並んでいたのかというとそこまではわからないのだが、上三川町は小さな町ながら星宮さんも少なくとも七社はあるという下野星宮信仰圏。この塚の数は偶然の数字とも思えない。