めくらの蛇

栃木県那須塩原市

昔、会津の塗り物師の弥八が、都へ行く途中、三斗小屋の宿に紫の珍しい蛇が飼われているのを見、哀れに思って買い取り捕えられたという大沼に放してやった。そして都へ上って作品を売った帰り、弥八は大沼近くの山中で、今度は紫の着物を着、苦しんでいる美しい女を助けた。

紫という名のその女は、自分は天界のものだったが、わけあって今は一人でここに暮していると語り、助けてもらったお礼に弥八を歓待した。そして、翌朝になっても、どうかここに留まってくれるよう懇願した。弥八は迷いながらも、泣く紫を置いていけず、二人で暮らすことになった。

二人は楽しく暮らし、やがて紫は子を身ごもり、生み月が来た。ところが、紫は真剣な顔で、自分が子を生むところを見てはならない、そうしたら一緒には暮らせなくなる、というのだった。弥八は承知したが、約束の日が来る前に、どうしても心配になり、うぶ屋を覗いてしまった。

そこで弥八が見たのは、大蛇の姿であった。弥八は驚きの声を上げ、紫は気づいてしまった。紫は赤子を抱き出てくると、自分は大沼の龍王の娘で、弥八に助けられた紫の蛇なのだと明かした。そして、正体を見られたからにはもう一緒には暮らせない、自分は鏡沼に住むから、子には鏡丸と名付け大事に育ててくれ、と言い去った。

それから弥八は苦労して子を育てたが、どうしても泣きやまぬことがあった。その晩、戸をたたく音がし、あけると紫が立っていた。そして、この玉をなめさせるようと、ひとつの玉を渡し、また去った。その玉をなめさせると子は泣きやみ、乳もいらぬのであった。

しかし、この噂が役所に知れ、珍しい蛇の玉と役人に取られてしまった。するとまた紫が来てもうひとつ玉をくれたが、紫はそれは自分の目玉なのだ、と告げた。そして、もう目が見えなくなったので、自分は鏡沼から出ることができないが、どうか鏡丸と幸せに、と言い去った。

弥八は自分のふがいなさを悔いたが、紫の助けを心に刻み、鏡丸を立派に育て上げた。鏡丸は父の仕事を継いで、弥八に劣らぬ立派な塗り物師になったという。今でも鏡沼には白い紫がかった目のない蛇がいるという。地方の人はそれを紫のお使い役だと思って、大事にしているそうな。

栃木県連合教育会『しもつけの伝説 第3集』より

どこで採取された話か判らないので、大沼のあった所(今は沼っ原と呼ばれる湿原)とした。鏡沼は那須岳の北側で、会津下郷となる。その鏡沼と大沼にはそれぞれ蛇女房の伝説が色濃くあり、この話は双方の特徴を兼ねている話といえる。

一方、蛇女房がもと天界の天女だったと告白するというのは、会津下郷の鏡沼のほうでいう。片岡の長者側の話に天女というモチーフが語られるものは見ない。

もっとも、片岡の長者の話でも、一連の話ののち、那須岳の噴火で大沼は没し、住処を失ったヌシの大蛇は鏡沼に移った、と語るので、初めから同根の話であった可能性は高い。鏡沼-大沼(会津下郷-那須)の蛇女房伝説群、とでもいおうか。