大沼

栃木県矢板市

まだ一帯が塩のこおりと呼ばれていたころ、片岡に屋敷があり、大長者がいた。当代の主人はまだ二十二三の美目秀麗な青年だったが、近隣に見合う家柄もなく、すでに父母もなく、独身で気安く暮らしていた。家のことは番頭に任せ、板室から大沼を過ぎ三斗小屋の温泉へ度々行って家を空けていた。

そんな折、ひとりの娘が旦那を慕って大沼から来た、という美人の娘が屋敷を訪れた。娘は下女の一人として長者の身の回りの世話を任され、やがて相思の間柄となり、番頭の計らいで盛大な式を挙げ、二人は夫婦となった。長者も喜び、家を空けることもなくなり、ほどなく妻は身籠った。

そこで長者は産屋を建てたが、建てきらぬうちに妻は産気づき、産屋にこもることになった。妻は、子を産むときは、その前生の姿となるのが恥ずかしいので、決して見ないよう告げ、長者は外に出た。しかし、妻のうめく声が心配でたまらず、急に静寂の訪れた産室の不気味さに、長者は中を覗いてしまった。

すると、布団の上で男の子を抱いているのは大蛇であり、子の産の汚れを長い舌で舐めまわしているのであった。悲鳴を上げる長者に、大蛇は妻の姿に戻ると告げた。自分は大沼の大蛇だが、かつて夫の蛇が先代の長者に捕えられ、生きたまま酒に漬けられ吞まれ、そして生まれたのがあなたであるのだ、と。

それであなたを夫と思い仕えてきたが、この上はもうおれなくなった、生まれた子を自分と思い愛し育ててほしい、と。こうして妻は去り、長者は子を育てることになったが、その子は利発で育ちが早かったが、背に鱗があったという。

ある時、子が泣きやまず母を慕うので、長者は子を連れて大沼へ行った。そして岸の岩に腰かけ妻を思っていると、沼が波立ち妻が現れた。妻は子に乳を与え、泣いたら頬にあてるようにと、ひとつの玉を長者に渡した。そして、もう龍宮の龍神の言葉で人間にはなれない、左様なら、と大蛇となり沼に消えた。

長者は自分の前身が蛇であったことを知ったとて、自分は大蛇にもなれず、帰らぬ妻を恋い、身上は皆番頭にくれ、子を連れて大沼のほとりでささやかに暮したそうな。また、玉をくれてからは、大沼の主の大蛇は右の眼がなかったという。

小林猶吉『下野の昔噺 第三集』
(橡の實社)より要約

重要というのは、蛇女房が通ってくる長者がまた、蛇の転生であった、と語るところだ。ちょっとこういった話は見ないが、筋は通るところがある。そもそも、蛇女房の話は、祖神を蛇といただく家が、その祖の誕生を再現する、というループした話の構成を持っている。

そうして見るならば、蛇女房により祖の力を濃く持つ子の誕生(その誕生の再現)を願う長者はまた蛇を祖とするものなのだ。その傾向は各地の長者伝説に見られる(長者、はまた「ながもの」と読める)。この事例はその感覚を保っていたものかもしれない。

なぜ片岡にそんな伝説があったのかは不明だが、よくよく覚えておくべき事例といえるだろう。また、大沼から鏡沼にかけて、その周辺には蛇女房の伝説が非常に多く、それらを見渡して考えるべき問題でもある。