蛇の子を生んだ娘 茨城県行方市 昔、井の上に草深内というところがあり、農家に一人の娘がいた。娘のもとに若い男が通うようになり、やがて母が様子が変なのに気付き、娘に、身ごもっただろう、相手はどこの男だ、と訊ねるが、娘は泣くばかりで何も言わなかった。 そして十月十日となり、産気づいた娘に、母が盥に湯を入れて待っていると、生まれたのは蛇の子で、盥に入りきれないほどであった。娘は気を失い、それで死んでしまった。通ってきた男は、権太夫池の主だったということである。 堤一郎『ふるさと文庫 玉造町の昔ばなし』(筑波書林)より要約 井の上とは、日本武尊が勾玉を落したという「玉清井」の近くの井上神社周辺のことだろう。権太夫池の主というのは手賀にある池のヌシと名高い大蛇のこと(「大蛇と大うなぎの夫婦」など)。 このような話型は盥子型というが、その一点のみで成り立っている珍しい事例といえる。普通は盥に蛇の子を生む幕であっても、針糸で男の素性を探したり、それで子を堕ろす方法を立ち聞きしたりというモチーフが併せ語られるものだ(「鰐が淵」など)。 これだけ受け身に徹した蛇聟の話というのも、ある意味貴重かもしれない。「盥子型」の典型話、ということで、他の要素のないものとして紹介することができる。 ツイート