明島の鰐が淵には大蛇がいた。昔、その村に母と美しい娘がおり、娘の許に夜な夜な通う見慣れぬ奇麗な男があった。男は日が暮れると忍んで来、明け方にはいずこかへ帰った。そして、その家を尋ねても答えないのだった。
不思議に思った母親は、糸を通した針を男の袂に刺し、翌朝その糸を追った。糸はまさしく鰐が淵の中へ曳いており、それで男が淵のヌシの化身と知れた。そして、淵の中からは親蛇が通ってきていた子蛇に諭し語る声が聞こえてくるのだった。
曰く、戒めを聞かなかったせいで、針の毒によりお前の命は長くはない、と。しかし、子蛇はこのまま死んでも胤を残してきたから、そう嘆くこともない、といった。やがて娘は月満ちて、盥に七杯半もの蛇の子を生んだ。この淵には碗貸しの話もある。
岩崎『伊那の伝説』にほぼ同じ文面が見え、そちらから村誌を経て収録されたもののようなので、リンクしておいた。
話そのものは一般的な蛇聟譚。針糸・立ち聞き型となるが、多くの話に見る、立ち聞きによって蛇の子を堕ろす方法を知る(「菖蒲湯」など参照)、という筋がない。しかし、やはり特に際立ったところもない蛇聟の話だとはいえる。
この鰐が淵の話で気をつけておきたいのは、その淵の名そのものということになる。端的に大蛇のヌシを鰐といったにせよ、何らかの理由が「鰐」にあるにせよ、この伝説上、その淵の名が大蛇のヌシのいる標になっているのは間違いない。
甲斐の韮崎の方には、鬼が転じて鰐なのだという塚などもあり、またそこから南信には日本武尊の大蛇退治の伝説などもあり、おに・わに・へびがどのように連絡していたかというのは重要となる。