鎮守境内の蛇塚

茨城県潮来市

昔、延方鎮守の裏に上池・下池・浮島池があった。浮島池に清水がわき、蛇がたくさん住んでいた。蝮もおり、咬まれて命を落とす人もあった。その下池の落とし口に水止め用の土盛りがあったが、大雨のとき、たくさんの蛇が流れてきて、いついたという。

ある日、百姓の孫三が夜遅くに近くを通った時、月の光に照らされた蛇の集団に出会った。無数の蛇たちは、頭に金色の玉らしきものを掲げ、踊り狂うように見えた。怖くなった孫三は逃げ帰って布団にもぐったが、二、三日して行ってみると、何もなかったようにきれいになっていた。

孫三はこの不思議な体験を皆に話したが、すると欲深な与作という百姓が、それなら何か宝が隠されているのでは、と思い込み、そこを掘ってみた。すると蛇の卵が三十ばかり出て、与作は腰が抜けて立たなくなってしまったという。それで皆は祟りと噂し、土盛りの塚を蛇塚と呼ぶようになった。

水郷民俗研究会『潮来の昔話と伝説』より要約

延方の鎮守さんというのは新宮と呼ばれる鹿嶋吉田神社のことだが、実はこれは光圀のときに古高・須賀・洲崎の三村が合併され、鎮守が合祀された際に、古高村鎮守の鹿嶋社と旧領主島崎家の守り神であった洲崎村鎮守の諏訪社を併せたもので、鎮座地も元諏訪ヶ原といったという。

これがなぜか社殿完成の時点で諏訪を吉田としてしまったといい、諏訪の神の面影はなくなってしまったのだが、土地の人にはまだお諏訪さまと呼ぶ人もおるそうで、昔話などにはよく「延方鎮守の蛇」が出てくる。この蛇塚の話もそのひとつ。