朝房山の蛇

茨城県笠間市

朝房山を昔、晡時臥山といい、努賀比古、努賀比羊という兄妹が住んでいた。ある日、どこからか若い男が来て妹と親しくなり、夫婦となったが、男は数日後に姿を消した。妹は妊娠しており、月満ちて、一匹の小さな蛇を生んだ。兄妹は驚いたが、この蛇は夜になると口をきき、神の子であろうと思われた。

そこで清らかな甕に入れ、祭壇を設け育てたが、すぐ甕いっぱいの大きさに育ち、大きな甕に変えてもすぐいっぱいに育つ。もはや兄妹にはどうすることもできなくなり、母は子蛇に、お前は神の子で、自分たち一族では育てられない、父のいる天に帰るがよい、と諭した。

子蛇は嘆き悲しんで、母の言には従うが、心細いので従者をつけてくれるよう頼んだ。しかし、家には兄妹しかおらず、それはできぬと母は答えた。すると、子蛇は恨みを抱いて怒り、伯父である努賀比古を打ち殺し、昇天しようとした。

ところが、これに怒った母の努賀比羊が甕を投げつけると、甕に触れた蛇は昇天することができずに朝房山に落ちてしまった。朝房山の頂上には蛇神を祀る朝房権現があり、二月の初とりの日の祭礼は今も行われている。

笠間文化財愛護協会『笠間市の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

『常陸國風土記』に見る努賀毗古、努賀毗売と蛇の子の話。採話の記録ではあるが、風土記の世から連綿と伝説と信仰があったわけではない(晡時臥山も必ずしも朝房山に同定されるわけではない)。しかし、今はこのように土地の人は捉えている、ということではある。

さらに水戸市藤井には、式内有力論社の藤内神社が鎮座し、朝房山を神体山とし、そこから射した霊光の降りたところなので鎮斎されたところだという。この神は経津主命とされるが、話の結構は風土記の話を思わせるものがある。