『沙石集』

索部:古記抜抄:2013.03.13

学生畜類に生れたる事
学生なる蟻と蟎との問答の事(部分:虬猿問答事)
妄執によりて女蛇と成る事
蛇を害して頓死したる事

巻第五 三 学生畜類に生れたる事

比叡山に二人の学生がいた。同法であり年も近く、気だても振舞も似ていたので、どちらかが先立ち死んだら、どう生まれ変わったか必ず報告しよう、と約束していた。そして、一人が他界した後夢に出て来て「自分は野槌というものに生まれてしまった」といった。野槌とはめったにいない獣で、深山に稀にいる。大きく、目鼻手足がなく、ただ口ばかりがあるもので、人をとって喰う。これは仏法をただ名利の為に学び、驕り慢心して妄執の薄らぐこともなく、口ばかりさかしくなるままだったので、こうなったのである。(以下略)

『沙石集』より要約

この後延々お説教が続くが略。仏法の真意を学ばず慢心した我のままだったので、口だけの野槌に生まれ変わってしまったのだ、という話である。
さて、野槌が後の「ツチノコ」だとされるが、野槌の初出は『古事記』に見えて古い(草祖草野姫・鹿屋野比売神、記に別名が野椎神とある)。しかし、蛇の姿だとは『古事記』などには書かれていない。近世『和漢三才図会』では野槌蛇であり、絵も蛇だが、そうなる過程にこの『沙石集』の記述があるのだ。『沙石集』も蛇のようだといっているわけではないが、まぁ、読んだら蛇状のモノを思い浮かべるだろう。
「口ばかりはさかしけれども、知恵の眼もなく、信の手もなく、戒の足もなき故に、かかる恐ろしき物に生まれたるにこそ」と、仏教説話なので喩えに持ち出されてはいるのだが、つまり喩えとして通じるほどには野槌のイメージがあったのだろう。
槌と霊力(ち)と蛇の関係というのもニワトリが先かタマゴが先かと難しい物があるのだが、野槌を蛇状に描写した古い記述はここにあると心得ておきたい。

ページの先頭へ

巻第五 八 学生なる蟻と蟎との問答の事(部分:虬猿問答事)

海中に虬(きゅう)というモノがいた。蛇に似て、角がないものをいう。妻が懐妊したので、猿の生肝を手に入れようと、山の方へ行った。猿に向って、この山には木の実が多いかと訊くと、猿はないという。虬は海の底に木の実がたくさんある山があるぞといって、猿を背に乗せ海に入った。海中に山など見えなく、猿がどういうことかと訊くと、虬は妻の為に猿の生肝がいるのだという。猿は驚いたが、自分の生肝は山の木の上にある、慌てて来たので置いてきてしまった、といった。なんだそうかと虬が陸に戻ると猿は「海中に山なし、身を離れて肝なし」といって逃げてしまった。虬はがっかりして海に帰った。獣にもモノを騙す心持ちはあるのである。

『沙石集』より要約

この八話全体は蟻と蟎(ダニ)の問答にはじまり、人間でないものたちがあれこれ議論するという話を並べたものである。その中にこの「虬猿問答事」がある。
要するに昔話の「猿の生肝、クラゲの骨抜き」の話だ。クラゲが龍王のお使いで猿の生肝を求め、このように失敗して龍王に骨を抜かれてしまう、という話型が有名だが、『今昔』では亀であり、ここでは「虬」である。「みづち」のことだ。唐の『法苑珠林』の中にあるというから(未読)、中印からの仏教説話としてあった話なのだろう。とりもなおさずここでは、良く知られるクラゲでも、また亀でもなく、「みづち」の話としてもあるのだということを覚えておきたい。

ページの先頭へ

巻第七 二 妄執によりて女蛇と成る事

鎌倉のある人の女(娘)が、若宮の僧坊の兒子に恋をし病となったが、両親が兒子を呼ぶなりしても脈もなく、思い焦がれたまま死んでしまった。父母は悲しみながらも骨を善光寺へ送ろうと箱に入れておいた。
その後、兒子の方は発狂してしまったので閉じ込められていた。そして、(一人でいるはずなのに)人と語る声がするので、父母がすき間からのぞくと、大蛇を相手に話していた。やがて兒子も死んだが、葬ろうとしたらその棺の中に大蛇がいて、兒子の遺体にまとわりついていた。
父母は娘の骨を善光寺へ送る前に取り分けて鎌倉の寺にも置こうと箱を開けてみたが、いくつかの骨はまったく小蛇になってしまっており、他の骨も半ば蛇になりつつあった。父母はある僧に供養してもらう際、事の次第を全て話したが、これは僅か十年の内の(実際聞いた)話である。

『沙石集』より要約

以降、コメントが続くが略。さても恋する女の妄念は恐ろしきモノよなぁ、という方向に蛇のイメージが変化してゆくのがよく見える一話。が、その筋はともかく今回注目したいのは骨が蛇になっていっている所だ。
この骨と蛇(特に白蛇)との関係について吉野裕子は、往古に「骨神信仰」(鳥葬・風葬などの際の白骨のイメージ)が白蛇のイメージに反映されているのではないかと論じられている(『日本人の死生観』)。鎌倉にはヤグラ(中世横穴墓)がたくさんあることも少し心に留めたい。
『沙石集』のこの話では実際骨が蛇と化し、なおかつ「化しつつある途中」までも描写されているので、白骨と白蛇の話には結びつけて覚えておきたい。ところでこの説話は文末に、ある尼の「指が蛇と成る話」が『発心集』にもある、と結んでいる。

ページの先頭へ

巻第七 五 蛇を害して頓死したる事

(前半)下野の道の傍らに大きな木があり洞が開いていて、そこから大蛇が首を出していたのを見て、悪き(にくき)ものかな、と頭に強く矢を射込んだ。打ち捨てて大きな沼のほとりを廻って行くと、首に矢を立てた一丈もある(先の)大蛇が泳いで迫って来た。また待ち受けて射殺し、家に帰ったが、間もなく気が狂って狂い死にしてしまった。今生も横死する事になり、来世も苦を受ける事になるだろう。これは人の名も所の名も聞いた最近の奇怪なできごとの話である。

『沙石集』より要約

いたずらに蛇を殺して代々祟られるというのはすでに平安時代の話からゴマンとあるわけだが、この前半話もそう。すでに大樹のウロというと大蛇が棲みつくものだとなっている所と、次の後半とあわせて首を射られてなお泳ぎ追ってくる蛇の執念が描かれている所が特徴的だろうか。

(後半)同じ下野にある沼に、魚をとって暮らしている者がいた。岸の下の穴より数えきれない魚が泳ぎ出してくるのだった。良くこの穴の中を見てみると、小さな瓶子の中から魚たちは出て来ていた。不思議に思っていると、瓶子の中から一尺ほどの小蛇が出て来た。この蛇を串に刺して道の傍らに立て、家に帰り魚をさばいていると、串に刺されながらその蛇が(追って)来た。それをまた打ち殺しても、さらに重ねて殺しても殺しても蛇がやってくる。やがて数えきれない蛇が来て、その人は身の毛がよだつ中で病み狂って死んでしまった。(以下略)

『沙石集』より要約

以下、現報・生報・後報と因果応報の三様の次第が説明されるが略。魚にせよ蛇にせよ、無数に湧き出てくる「瓶子」が沼中にあるという点が目をひく話。昔話の定型となる「尽きぬ水差し」的なマジックアイテムと、竜宮へ続く穴が本来同一のモノであるイメージがここに描かれている。また、この説話の前には「妄執によりて女蛇と成る事」「継女を蛇に合せむとしたる事」「蛇の人の妻を犯したる事」と蛇の話が続き、『沙石集』のころに蛇がどのようなイメージで語られていたかを知るブロックになっている。

古記抜抄『沙石集』

古記抜抄
「古記抜抄」は、龍学の各記事から参照することを目的とした、日本の古典(主に説話)文学からの抜書きです。原文・書き下し文は割愛し、その話の筋を追えるように要約と簡単な解説によって構成されています。現在は以下の各書についての抜書きがあります。