『撰集抄』
索部:古記抜抄:2013.03.13
巻八 第三三 空也上人の手を祈る事(並瓜の中の蛇の話)
平等院の行尊僧正が、空也上人に左の腕が曲っている理由を訊ねた。上人が幼い頃に高い所から落ちたのだというと、僧正はならば祈り直しましょうと神呪を唱えると、三度唱える前に上人の腕が治った。また、一條院のとき、大和より瓜が献上されてきたが、雅忠という医師が、瓜の中に一つ毒を持つものがある、といった。帝が晴明に訊ねると、晴明も大変な霊気(悪気)があるという。そこで行尊に祈らせよ、ということになり僧正が神呪を唱えると、大きな瓜が板敷きから二三尺も躍り上がり、二つに割れ、中から一尺あまりの蛇が這い出てきて死んだ。まったく不思議なことであった。
おそらく少し前に成っていたと思われる『宇治拾遺』では空也上人の肘を治したのは余慶僧正だとなっているが、こちらでは行尊僧正の話となっている。共に三井寺の僧とはいえ、一条天皇の時代には行尊は生まれてなかったはずだが。
そのあたりの登場人物はともかく、『今昔』の時代から「瓜の中の毒」の話はあるのだが、「それが蛇だ」という表現がなされたのはおそらくこの『撰集抄』が古いと思う。ほぼ同時期と思われる『著聞集』でも蛇が出てくる。こうして「祇園の初瓜には蛇が棲む」という話になっていくのだ。
巻七 第一三 鹿嶋の御事
治承の頃、常陸の鹿島の明神に参ったが、御社は南向きであり、前には海が広がり、背後には山が控えていた。回廊が巡り、汐が満ちると社の内板まで海となり、汐が引くと、砂浜が三里も続く。(以下略)
続いて鹿島の風光明媚なこと、また「いさかわ・いか川」なる眷属の神が守っている事など興味深い話も続くが、不明なので略。
今回問題としたいのは鹿島神宮が「南向き」だとあることだ。ご存知のように鹿島神宮は社殿が北面することに意味が語られる場所である。しかも海の様子を見ると、まるで安芸宮島の厳島神社のようなことが書いてある。そんな浜際に神宮があった、というのだろうか。
『撰集抄』は近世までは西行法師の著だと信じられてきたものだが、今は仮託して書かれたものであることがはっきりしている。どこまで西行の時代ないし書かれた鎌倉初期の様子が反映されているのだろう。さすがにありもしない厳島のような鹿島神宮を書いたらすぐ嘘だとバレてしまうはずだし、続く時代に西行法師著が信じられてきた以上対応する何かがあったのだろうか。
古記抜抄『撰集抄』