諏訪神社

索部:伊豆神社ノオト:2011.06.16

祭 神:伊波氐別命
創 建:天正二年再建(伝)・式内:伊波氐別命神社論社
例祭日:旧暦七月二十七日
社 殿:流造/南向
住 所:賀茂郡南伊豆町岩殿

『式内社調査報告』

諏訪神社(後方に集塊岩の大巌岩)
諏訪神社(後方に集塊岩の大巌岩)
フリー:画像使用H840

式内:伊波氐別命神社の最有力論社。読みは「イハテワケ」である。もっとも土地では諏訪神社であり、現存する最古の棟札(正徳三年)から諏訪大明神の記載であり、伊波氐別命を記した棟札などはない。

地名の「岩殿」が「いはて」の転訛ではないかとされる点、諏訪神社が往古「若宮」と称されていたという伝(伊豆三嶋大神の御子神達は時に「若宮」と称される)、「伊波氐別命」を現社殿背後の集塊岩の大巌岩の神格であろうとする三点からここが式内:伊波氐別命神社に該当するとされる。『静岡縣神社志』でも同様の記述がされており、現在の社頭掲示も「祭神:伊波氐別命」とあり健御名方命の名はない。

背後の集塊岩
背後の集塊岩
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この神体とされる背後の集塊岩の中には特に「臼」に見立てられる大岩が二つあるのだそうだが(『南豆風土誌』)、分からなかった。

このような次第ではあるが、伊波氐別命は伊豆三嶋神話を語る『三宅記』にも見えず、どのような係累の神かは謎である。『南豆神祇誌』の足立鍬太郎は「此の諏訪明神をそれに擬するは、やや変に感ぜられる」と述べているが、今となってはよく分からない。

本殿
本殿
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『静岡縣神社志』には、「社殿:天正二年再建と伝ふ、権現造にて綿密の彫刻を施す」とあるが、今の覆殿の中には写真の流造朱塗りの祠が鎮座されている。

参拝記

諏訪神社へは平成二十三年の一月二十二日に参拝している。青野川を遡る行程だった。岩殿の辺りはかつては南上村と言ったが、ちらほらと民家は見えるものの、人はまったくおらず、という山間だ。

参道鳥居
参道鳥居
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標識もなく、上の鳥居も木立にまぎれて大通りからは見にくく、どこが神社の入口なのかよく分からない所である。さんざん周辺ウロウロした挙げ句下写真の階段以外それらしいものはない、ということでようやくたどり着いた。後で見てみたらかの玄松子さんも迷ったという。私だけではないのだ(笑)。

参道登り口
参道登り口
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上写真中段屋や右にも見えているが、少し不思議な石祠がある。各種資料には境内社の記載はないのでなんであるのかは分からない。下の写真のように諏訪神社への参道から下るように順路が設えられている。下の道から階段設ければ良いのに、と思うがそれではいけない何かがあるのだろう。

石祠
石祠
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各地でその神社さんが祀られることになる前に祀られていた所謂「地主神」が、とかく意味ありげに不思議な順路や立地に祀られるものだが、ここもそうではないか、という気もする。そうなると諏訪神社以前に祀られていた(はずの)伊波氐別命はこちらに?などと空想してしまう。

境内のダイコクさん
境内のダイコクさん
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この諏訪神社さんは式内最有力論社というには小規模で地味な所ではあるが、本殿前や境内のダイコクさんの前の榊などは新しくきれいに供えられており、お手入れはこまめに行われておるようだ。

諏訪神社(賀茂郡南伊豆町岩殿) 2011.06.16

伊豆神社ノオト:

参考:

南豆行
南豆行(神社巡り編)
2011.01.22日の南豆行。青野川を加畑から青野まで、そして南下して一色の方まで。式内論社が軒を連ねる行程であります。
▶南豆行

夷子神社(伊東市川奈)
夷子神社(伊東市川奈)
伊東市川奈の夷子神社も式内:伊波氐別命神社の論社に名があがる。
▶夷子神社(伊東市川奈)