青屋神社
索部:常陸神社ノオト:2011.06.03
祭 神:天照大神
天津日高日子波限建鵜葺屋葺不合命
武甕槌命
創 建:保元の乱以降
例祭日:旧七月二十一日
社 殿:本殿流造方一間
住 所:石岡市石岡
青屋神社は石岡国府総社の北400mくらいの所に鎮座する。もともと国司参拝のための神社であったので、総社神社の境外社とも言えるだろう。
まず、社頭掲示によってアウトラインを。
青屋神社
常陸国司は、都から着任すると鹿島社に参拝するのがならわしであった。国司が鹿島社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、高浜のなぎさにススキ、マコモ、ヨシなどで青屋(仮屋)をつくり、そこから鹿島社を遥拝し参拝にかえたという。これが青屋祭の起こりといわれている。
中世の青屋祭は、府中総社の宮祭の一つとして高浜神社、大洗磯前神社、鹿島社などの津で、霞ヶ浦と鹿島灘の航海の安全と水産物の豊穣を祈願するために行われた。
近世の青屋祭神事は、青屋の馬場と呼ばれるこのあたりで行われた。深夜、2人の者が青ススキ、細竹で青屋をつくる。神拝は、公家装束の税所氏と健児所(こにしょ・小仁所)氏が侍姿の大勢の供をつれて参拝する。この間、馬場では神馬をはしらせた。神拝が終ると税所氏と健児所氏は高浜に移り、高浜神社に参拝した。
高浜の渚につくられた青屋(仮屋)というのが、後に「高浜神社」となっている。こちらの青屋神社は、保元の乱により、鹿島神宮への国司の参向が廃絶されるのに伴い、時の在庁官大掾氏が青茅の仮殿をつくり、茄子瓜類を献饌したのにはじまる。
由緒に見るように本来は鹿島社を遥拝するための神社であるのだが、現在の主祭神は鵜葺屋葺不合命と捉えられているようだ。社殿の向きも高浜神社が大まかには鹿島社を遥拝する結構になるのに対して、青屋神社はそうはなっていない。これは青屋神社が下って安産を祈願する子安の神社としての側面が一人歩きしたことによるのだろう。昔はお産は仮屋で行うものだった、という事と連絡しているのかもしれない。また、鹿島神宮そのものが子安信仰の中心であったことを引いたのかもしれない。常陸の子安信仰全般に関しては別途論ずる。
参拝記
青屋神社へは平成二十三年四月二十三日に参拝した。この日はじめに高浜の高浜神社へ参拝した際、境内の由緒に青屋神社のことが書かれていたのでその存在を知った、という次第。国司参拝のための神社とは言え元は仮屋だったのであるから、現社殿もこじんまりとした神社さんである。
社殿向って右手に祠があったが、『神社誌』にも境内社の記載はなく委細不明。お役目を終えた近隣のお屋敷神なり辻の稲荷さんなりが納められているのかもしれない。
道祖神さんもフルセットで境内に。常陸にはヒトガタ石造物の道祖神はほとんどない。道辻にあるものも、多くは写真のような石柱の文字碑か直方体の一面を凹ませて簡単な屋根をのせたものである。
青屋神社(石岡市) 2011.06.03