舳倉島の竜女

門部:日本の竜蛇:中部:2012.02.02

場所:石川県輪島市舳倉島
収録されているシリーズ:
『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店):「舳倉島」
タグ:説法を聴く竜蛇/竜蛇のわたり


伝説の場所
ロード:Googleマップ

竜蛇神というものは畏(かしこ)き神であり、かかわり方を間違えれば洪水になるは、水は止められるはと大変なことになるわけで、基本的には一定の緊張感を持って里人は祀ってきたものである。

しかし、中には随分と竜蛇との距離が近しい人々がおり、何かにつけて竜蛇の一大事に全面協力を惜しまず、またその顛末を祭に語りにと伝える土地もある。能登半島の先端輪島と、その先の日本海に浮ぶ舳倉島の人々もそんな竜蛇との付き合い方をしてきたようだ。

(舳倉)島には神秘的な竜神池があり、その南岸に竜神様の奥宮、東南に拝殿がある。竜神池は島の北西側の断崖近くにある楕円形の小さな池(広さ三〇メートル×一五メートルほど)で無気味な水をたたえ、池は浅いが一か所海底(一説に竜宮)にまでつづいているという。
江戸末期、一旭という行者が草庵を結び説教していると、一人の美女が島民にまじり聞いていた。美女の姿は行者には見えるが島民には見えない。ある晩、美女が私は池にすむ竜で子どもの竜と死んで苦界をさまよっているので死骸を引き揚げ弔ってほしいと行者に懇願した。
池底から母子の二体が引き揚げられ、頭骨は輪島の法蔵寺に納められ、他は島の分院に埋められたという。しかし、父の竜は生存しているにちがいないと祭ったのが竜の宮(竜神様ともいう)で、他に類を見ないので無他神社ともよばれている。

角川書店『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』より引用

竜神池と無他神社
竜神池と無他神社
リファレンス:輪島ナビ画像使用

「竜神様は島民から漁業の神・潮の神として信仰されている」という海女の島であり海士の島であるこの舳倉島の人々は竜蛇神を第一に大切にしてきた人々なのだ。

上の話に先立って、『今昔物語集』にはこの島を舞台に大百足と闘う竜蛇に合力する輪島の漁師たちの活躍が描かれてもいる(『まんが日本昔ばなし』に「大じゃと大むかで」で収録されている、大型竜蛇譚なのでまた別途稿を立てる)。

さて、私は先のような高僧や行者の説法により供養されたり昇天したりする竜蛇の話というのは、自然神を信仰する里人を仏法の枠組みにおさめようとする一種の「神殺し」の話だと考えている(「龍の残した鱗」など参照)。

そして、そうであるなら先の話により舳倉島の竜蛇神も安らかに仏法守護の龍神にでもなっていそうなものなのだが、これがそうでもない。そもそも話の顛末と人々の感覚はまた違うようで、あまり「竜神は死んでしまった」という感覚はないようだ。

仏法の敷衍があっても「親竜蛇」なこの海の感覚は動じなかったのだろう。何となれば今でも輪島の人々はお産のために舳倉島から輪島へ渡って来る母竜蛇のために盛大な火祭りを行っているのだ。輪島の重蔵神社では次のように伝えているそうな。

(八月)二十三日の夜、神輿がたくさんのキリコを従えて輪島川の川尻のお仮屋に渡御するとき、海浜で柱松明を炎上する神事がある。昔、舳倉島の女神が蛇の姿となり、暗夜、輪島の浜に上陸したとき急に産気づき、今のお仮屋の地で出産したと伝える。
そこで二十三日の夜、神輿が仮泊するお仮屋は藁を用いて、産屋のように造り、神輿が海浜に近づいたとき、十数メートルの柱松明に点火して、舳倉の女神が渡海してくるによい時期と目標を知らせるといわれている。

角川書店『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』より引用

重蔵神社
重蔵神社
リファレンス:日本全国 神社紀行画像使用

「重蔵神社」(webサイト「玄松子の記憶」)

輪島でもっとも重要な祭とされる輪島大祭のことである。一説には輪島にいる雄竜のところへ舳倉島の雌竜が年に一度通って来るのだという「わたり」の話にもなっている。

いずれにしても大百足と闘うといえば命がけで合力し、池底で浮ばれぬといえば皆でさらって一心に供養し、お産のために渡って来られるのだといっては今でも盛大な柱松明をかかげる。舳倉島─輪島の人々はそういった竜蛇とのかかわり方をしてきた人々なのである。

輪島大祭の柱松明
輪島大祭の柱松明
リファレンス:輪島ナビ画像使用

memo

ところでこの舳倉島と輪島を結ぶ信仰を神社の面から見ると、筑前鐘崎の海人が宗像に見る三宮の信仰を持ち込んだのが舳倉島の式内:奥津比咩神社のはじまりだという。

奥津比咩神社の鳥居
奥津比咩神社の鳥居
リファレンス:輪島ナビ画像使用

「奥津比咩神社」(webサイト「玄松子の記憶」)

奥津比咩神社(祭神:田心姫命)が舳倉島の総鎮守なのだが、先の竜蛇の話がどう関係するのかというと今ひとつよく分からない。しかし、双方輪島と舳倉島を結んで無関係ということはあるまい。

そもそも宗像三女神は竜女なのかというと、弁天と習合した市杵島姫命はともかく全体的にはよく分からないのだが、あるいは「そんなの竜女に決まってる」という昔の感覚を保存しているのがむしろこの舳倉島の例なのかもしれない。

舳倉島の竜女 2012.02.02

中部地方: